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普通のまちを歩いて記録するマガジン

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地図は読めなくて迷子になっちゃうんだけど、迷子になったことで発見することもあるよね。
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2019年3月の記事一覧

みんな知ってる?東京に3つある「町」の一つ「瑞穂町」に行ってきたよ(vol.1 「激安ラーメン店で腹ごなし」編)

『普通のまちを歩いて記録するマガジン』では僕がこれまで行ったことのない場所から優先的に散策してきていますが、今日訪問した場所も一度も訪れたことがない場所。そして多くの人が訪れたことが無いのではないかと思う東京のブラックボックス「瑞穂町」に行ってきました。 市でも区でもなく「町」です。東京に3つしか無い町(自治体として)の一つ、瑞穂町。じゃあ他の2つはどこなんだ?となるわけですが、日の出町と奥多摩町です。そんな瑞穂町。瑞穂町には駅が一つしかありません。JR八高線の「箱根ヶ崎駅

稲荷町の隣「田原町」にあるチェコ雑貨屋に行ってきた話

こないだ稲荷町に行ったわけですが、今度はその隣町である「田原町」に行ってきました。田原町は「たまらまち」って読むみたい。『サラダ記念日』でおなじみの俵万智さんってこの田原町から取ったペンネームなのかな?って調べたら本名だった。大阪出身だし田原町と俵万智は関係ないっぽい。 銀座線田原町駅から地上に出ると仏壇屋さんが。稲荷町から田原町に至る浅草通り沿いは仏壇問屋街。田原町駅周辺も仏壇屋さん多い。 地図を見てたら「田原公園」ってのがあったので行ってみることにした。きっと由緒ある

Googleマップが騒がれてた日に伊能忠敬のお墓に行ってみた話(稲荷町)

この日、界隈では「Googleマップ劣化」という話題で盛り上がっていた。それまで使用していたゼンリンとの契約を解除し、自社データでの運用を始めたとかなんとか。長い目で見れば正しいのかもしれないが、直近はユーザー的には結構辛い。ゼンリンのきめ細やかなデータの尊さを知った。 僕もたまに地図を描いたりしており、地図には昔から興味を持っている。昨今のスタートアップ界隈で「地図」と言えば僕のことを想起してくれる方も多いとは思うが、全体で見れば伊能先生には全くかなわないのである。そんな

国分寺、小平探訪(地下25mで激臭とふれあい編)

恋ヶ窪駅を抜けて府中街道を北に向かって進む。交通量はけっこう多い。大きな公園やら空き地やら緑も多い。倉庫っぽい建物も多い。突然「きぬた歯科」の看板も出現する。バラエティ豊かだ。 (烏骨鶏もいた) 「そろそろ津田塾大学かな」と思ったその時、それはいきなり現れた。事前のネット調査で気になっていた「ふれあい下水道館」だ。本物の下水管に入れて、その臭いを体験することができるという「誰得?」な施設である。訪れる予定はなかった(ていうか除外してた)が、こうやって目の前に現れてしまった

国分寺、小平探訪(国分寺の首都「恋ヶ窪」を目指して編)

40年以上都民をやっているが、国分寺市にも小平市にも行ったことが無い気がする。国分寺に関しては「通過」したことはあるとは思うが、小平にいたっては、どこにあるかもわからない。両市民のみなさま、ほんと申し訳ない。そんなわけで今回は国分寺と小平に行ってみることにした。 西国分寺駅近くのラーメン屋さん吉祥寺から中央線に乗り、20分かからないくらいで西国分寺駅に到着。早速お腹が空いたので、駅近のラーメン屋に入ってみた。外装も内装もポップなお店『味噌中華そば ムタヒロ』。食べログの点数

押上〜曳舟、鐘ヶ淵、隅田川東岸を歩いてみた(隅田川「防災団地と夕暮れの浅草」編)

鐘ヶ淵で行ったみたかった場所がある。「防災団地」「防壁団地」「長城」などいろな言われ方をしている『白髭東アパート』だ。団地マニアならば一度は耳にしたことがあるかもしれない。長さ1キロに渡って累々と築かれた長城。それが白髭東アパート(団地)。 白髭防災団地 1キロに渡って壁のように建っているこの団地。Wikipediaにも「災害時に巨大な防火壁となる変形構造を持つ都営白鬚東アパート(防災団地)」と書かれている通り、建物のところどころに仕掛けがあり、いざという時にはその仕掛け

押上〜曳舟、鐘ヶ淵、隅田川東岸を歩いてみた(曳舟・東向島・鐘ヶ淵「荷風の記憶を探して」編)

旧知の人との再会は良いものだ。「また来ます」と押上猫庫を後にし、気分良く散策を再開した。次の目的地は「曳舟」。押上猫庫で「これから曳舟の方に歩いていく」と言ったらSさんが「曳舟は最近すごく発展してるよ。都会だよ」と。僕の中の曳舟のイメージは、下町の雑然とした、ちょっとディープなエリアだったので「都会」と言われても困惑する。困惑しながら歩いていたが、やがて目の前に姿を現した曳舟駅周辺は「都会」だった。 曳舟曳舟駅近くには新しそうなマンションが何本も建ち並び、子供連れの若い夫婦

押上〜曳舟、鐘ヶ淵、隅田川東岸を歩いてみた(押上「かつてのバイト同僚との再会」編)

27歳まで住んでいた街に唯一あった電車「都営浅草線」。旅の始まりは必ず都営浅草線だった。旅だけじゃない。学校も仕事もそうだ。嬉しい気分の時もあれば、辛い気分の時もあった。都営浅草線には様々な想いが詰まってる。そんな都営浅草線の始発駅が僕の最寄り駅だった。そしてその電車の終着駅は「押上」だった(押上の人にとっては僕の最寄り駅「西馬込」が終着駅だろうけど)。 「昔から名前は知っていたけど一度も行ったことのない街」押上に何となく行ってみたくなった。僕が今住んでいる井の頭線からは渋