見出し画像

雨の日に思う 名付けるという行為が孕む絶望と救いについて

普段通りの暮らしを営む中で、日常の揺らぎやざわめきといった、後ろ髪を引かれるような現象に出会うことがある。
それは感情だったり、匂いだったりと様々な形で立ち現わられるが、いつの間にか日常に入り込んできた小さな侵略者は、私のとりとめのない思考の触媒となる。
そういった時、私はその現象に無性に名前をつけたい衝動に駆られる。
「これはどういった名前の感情だっけ」「この匂いに名前を付けるとするなら、どういった名前になるのだろう」・・・

私が高校生の時に作曲した歌の詞に、以下のようなフレーズがある。
「何故ならなんて 理屈らしく 何故なら人は皆 名前が欲しい」
当時は、このような詞を綴った根拠を言葉に落とし込むことができるほど自覚的ではなかっただろうが、今になってしみじみと思う。現象に名前を与えるというのは、その現象自体の理由に、そして、その現象を自分が感じている理由に解を与えるということなのだと。

雨が上がった後に地面から立ち昇る、埃とも土ともいえない匂いに「ペトリコール(Petrichor)」という名前が付いていることを知ったのは、1年ほど前のことだ。
その時は、自分以外にもあの独特な匂いに名前を与えようとした人がいたのだということを知り、何だか嬉しくなった。「ペトリコールの匂いを感じ取っている不特定多数の集団」の中に自分も加わることができたような気がして、安心感すら覚えた。
また、この匂いが発生する科学的根拠も知り、専門的な事はよく分からなかったものの、世の中の現象には確かな原因に対する理由として名前が付けられているという事実が、本当に納得のいくものとして腑に落ちるのを感じた。

名付けるという行為が安心感や納得感、そして帰属感を与えてくれる一方で、分解され、検品され、ラベル付けされた言葉は、私がその言葉を知る前に感じていた感覚のリアリティを往々にして失ってしまっている。
久しぶりに大雨が降った昨日、私は雨上がりの道を歩いている途中であの懐かしい匂いに出会った。
その時私の頭をよぎったのは、「ああ、ペトリコールか」という無味乾燥な呟きだけだった、ということに数分後に思い当たり、愕然とした。
勿論、その時の体調や気分も影響していたのだろうが、私がその言葉を知る前に感じていた匂いや感情といったとりとめのない感覚たちが、掃除機に吸い取られるかのように一つの言葉に収束し、均一化されていくのを目の当たりにしたようで、ショックだった。

サピア=ウォーフの仮説を引用するまでもないが、私たちの思考は使用する言葉によって多大な影響を受けている。
ある現象に名前を付与してしまった瞬間、名前を知らなかった頃の自分には戻れないことを実感する。もう少し、自分の感じた感覚にぴたりと当てはまりそうな名前を探るという、切実な探索の中に浸っていたかったとすら感じることもある。
名付けるという行為は、そんな残酷な宿命を孕んでいると思う。

しかし、名付けるという行為が持つのは悲観的な側面のみではない。
人は名付けることによって、切れ目の入っていない世界に切れ目を入れ、自らが感受できる感覚の範囲を広げてきたのではないかと思う。
例えば、一説によると、日本語には400語以上の「雨」を表す言葉があるという。
春霖、青葉雨、狐の嫁入り雨、秋雨、霧雨、氷雨など、先人たちは季節や天候、雨の勢いの違いを敏感に感じ取り、雨という自然現象に様々な名称を与えていった。
様々な名称を知っていることで、特定の季節でしか感じられない情緒を感じたり、自分が感じた感覚にできるだけ近い感覚を他人に想起させたりすることが可能となる。

冒頭で記載した通り、私は名付けられる前の現象に直面した時、無性に名前をつけたくなる。
知らず知らずのうちに、自分の感覚を上手く言葉で言い表すことのできないもどかしさや、その感覚を他人と共有できない孤独感に耐えられずに、拙速に他人の作り出した言葉に飛びつき、「自分の感覚」を蔑ろにしていた時もあったかもしれない(ペトリコールの例は良い例ではない気がするが)。
言葉になる前の現象に即座に相応しい名前を見つけることができなかった場合、敢えて名前をつけずに、そっとしておく選択肢もあるのかもしれない。自分だけが知っている「あの感覚」というものを密かに楽しむのも良いだろう。
そして、名前の付いていない現象に直面した時は、身体感覚、記憶、環境情報などを総動員して真摯に向き合い、「これだ」と心の底から納得ができるような名前を見つけたい。
名付けるという行為の精度を上げることが、自分ならではの表現を追求することに繫がり、写真活動にも生きてくるのではないかと思っている。

この記事を、雨が降っている昨日のうちに書き上げて公開すれば良かったなという気がする。語るという行為は常に過去を参照項としている、なんてことも文章にしたい気持ちが湧き上がったものの、また別の機会に書くこととしたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?