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5月15日「行間も読めないまま」


どうやら私は「行間を読む」のがとても苦手らしい。

例えば、ドラマでいきなり回想シーンに入ると誰の回想なのかわからない。というかほぼ確実に見当違いである。幼少期の子役がメインキャストの俳優と似ていないから、とかそういう話ではありません。

こないだのペンディングトレインだって「ふむふむ、この消防士にはこんな過去があったのか〜」と真剣に見ていたのに、回想から戻ってくると「え?!これって大学院生の幼少期だったの?!」と全く別の主要人物でびっくりした。

思い返せば、大学院生は腹をブッ刺されて三途の川を彷徨っていたので幼少期を回想するには絶好のタイミングである。てか、そのタイミングで大学院生以外が回想するわけない。でも、こうやって理論的に考えればわかるんだけど(理論ってほどでもないけど)、その場での行間がちっとも読めないから困ったものなのだ。

小説を書くこともある人間としては致命的である。

えらそうに主張することでもないけど、そもそも私は対人関係においても「行間を読む」のが得意とはいえない。「空気を読む」とか「表情を読む」とはまたちがう(それらは人並みにやれてると思い込んでるんだけど、どう?)、相手があえて作った“余白“をまったく汲み取ることができないようだ。残念ながら。

迷惑をかけることも多いだろうね、申し訳なくてうなだれてしまった。

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