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40歳半ばにして自分の人生ゼロから歩き直すことを決めたよ



今まで ”自分の人生” だと思っていたのは全部幻想だった



これまで自分の人生だと思って歩いてきた道は他人の道だった。

少し前までは自分の選んだ道を自分の意志で歩いていると思っていた。
自分の道なのになぜかいつも息苦しさを感じていた。他人からみたら順調と思えるような時も、そうでない時も変わらぬ息苦しさを感じながら歩く人生だった。

思えばいつも他人の顔色をうかがっていた。
他人からどう見られるかばかりを気にしていた。


もう40歳も半ばを過ぎた。もしかしたら人生の折り返し地点はとうに過ぎているかもしれない。でも残り時間がどれくらいあるかは関係ない。これからの時間は自分の人生を歩きたい。

そのために今日ここに
自分の人生といえるものはこれだ!
というものを高らかに宣言したい。

手前勝手でずうずうしいお願いなのは百も承知である。
でもその宣言をどうしてもみなに聞いてもらいたい。



顔色をうかがってばかりの子供だった


思い起こせば子供時代から他者のことばかり気にしていた。

小学生のころに通っていた野球クラブのコーチからも
『いつも気になってたんだけど。君は大人の顔色ばかりうかがって話してるよね。そのクセ直したほうがいいよ。』

子供だったので言葉の深い意味まではわからなかった。けど、子供ながらに深く傷ついたことはよく覚えている。そのコーチはその後、うちの母親にも同じことを伝えていた。

他人の顔色をうかがうことは、子供時代の自分が生きていくために必要なスキルだった。

両親は自分が小さいころから仲が悪く、よく家の中で大ゲンカをしていた。大ゲンカが終わり不機嫌極まりない両親に、自分まで当たり散らされないためには常に相手の顔色を見てそこから感情を読み解く必要があった。

怒られることを避けるために明確に機嫌が良い時以外は話しにいかない。ケンカをしてないのに機嫌が悪い時は自分が何かしたからではないかと心当たりを思い返してみる。少しでも思い当たるところがあれば、一人で勝手に反省をして次には起こさないように気をつける。

それでも多動気味だった子供時代の自分は両親からよく𠮟られた。


不仲だった両親がその後離婚し、自分の生活環境が脅かされる心配がなくなった後も、染み込んだその習性は直らなかった。

子供時代に磨いたこのスキルは、その後大人になり営業として働く時には自分の大きな武器となった。顧客の繊細な表情の変化を読み取り、相手が考えていることを推し量ってきめ細かい提案につなげる。よく気の利く営業マンと評価をいただくことも増え、実績の積み上げにこのスキルは大きく貢献をしてくれた。

ただ人を選ばずに発動をするその習性はデメリットもたくさんあった。自分が関わる他者の反応に無意識に敏感になってしまう。放たれた些細な言葉を全部キャッチしてしまい一喜一憂してしまう。何気ない立ち振る舞いにも感情を揺さぶられてしまっていた。

ネガティブに捉えるのがデフォルトとなっており、どうしても一喜より一憂のほうが多くなった。結果いつも気持ちがすり減り、心が消耗する毎日を過ごしていた。

それでも営業として実績を上げ続けることで受け取る、他者からの評価を栄養分としてかろうじて自分の存在価値を満たしていた。




他人の人生ではなく自分の人生


そんな自分の支えとなった積み上げてきた実績も、コロナに寄って跡形も無く消えてしまった。その実績に対して受け取っていた評価も同時に跡形もなく消えた。自分という存在がすべて否定をされ、この世にいる価値がなくなってしまった感覚に襲われた。

この時ワラにもすがる思いで読んだコーチング本に救われた。

その後のプロのコーチによるカウンセリングを通じて、初めて覗いてみた自分の内面は他者からの評価によって支配されていた。


思い返すと実績を積み上げるための営業活動を楽しいと思ったことはほとんど無い。その活動を通じてあげた実績の評価だけが自分を突き動かすモチベーションだった。自分がやりたいかどうかは関係ない。それをやることで他者から評価を得られるからただそれをやっていた。

会社員として期待された実績を実現することは大事だ。もちろんわかる。

でも自分の心は本当はやりたくない!、やっていても楽しくない!と声を上げていた。それを無意識にも全部無視して他者からの評価をどうしたらもらえるかだけを優先してこれまで行動をしていた。

どれだけ送っても宿主に届かない声に、自分の本心はしびれを切らして次は体調に訴えかけた。常に息苦しい状態を作り出し、どうか伝われ。。と切実な祈りを体を張ってささげた。でも自分はその祈りも全部無視をして、他者の評価を優先して生きてきた。

他者からの評価を基準にして生きたほうが楽だ。これは事実だと思う。誰かの意志のもとに行動をして失敗をしても責任転嫁も出来る。

本当はやりたくなかったんだよ。。
あの人が言ったからやったのに。。


でもそれは決して自分の人生じゃない。
そんな人生楽しくない。


これからも自分の本心を誤魔化しながら生きることだってできると思う。自分の本心をなだめ抑えて上手に折り合いをつけて進むことも可能かもしれない。

でも自分の心の声に気づいてしまった今、それは出来ない。


一回しかない人生、自分の心がやりたいと思うことをやってあげたい。
いや何より自分がやりたい。


もう40歳も半ばを過ぎた。一から歩き直すには遅すぎるかもしれない。でも歩き直したい。死ぬ時に 自分の人生を歩いた! と言い切れるそんな人生を送りたい!

自分のやりたいことだけをやることは出来ない。
でも一つでも、これこそ自分のやりたいことだ といえるものをやってみる。他者と摩擦があろうが否定をされようが、不安になりながらも迷いながらも自分を信じてやってみる。

まずはそこから初めてみたい。そこから自分の人生が始まるんだ。



決意表明


気を抜くと今でも他者評価は意識のど真ん中に居座り心を支配する。苦しくてもそのほうが楽だから。


でも自分がやりたいことをやると決めたんだ。自分が楽しいと思うこと。ワクワクすること。それを自分で決めて自分の足で歩くと決めた。

だからこそ自分のやりたいことを明確にして大きな旗に書き記しそれを掲げる。それを自分の人生の真ん中において自分の道を歩きたい。

自分の心とのギャップに気づいてからは何がやりたいかを探すために色々と挑戦をしてみた。

プログラミング、イラスト、コーチング、あと今更ながらの英語学習も。


どれも初めての経験で楽しかった。その中でもコーチングは楽しくもあり自分自身たくさん救われた。コロナで実績が吹き飛び他者評価がゼロに
なった時、コーチングのおかげで初めて自分を承認することが出来た。


今やりたいこと。。

ちょっと前の自分みたいに自分の人生を歩けずに苦しんでいる人の声を聴いて話しをしたい。自分は一番辛い時にコーチに出会い自分の話しをたくさん聞いてもらったおかげで、自分の心の声に気づき自分の道を歩きたいと思えるようになった。

自分のまわりにも昔の自分と同じように、今歩いている道が他人の道と気づかずに苦しみ、心をすり減らしながら歩いている人がいる。

みな、その道から抜け出したいと思ってる。でもどうやって抜け出していいか分からない。心の声が小さすぎて他人の道を歩いていることに気づかない人もいる。だからどれだけ他人からアドバイスをもらっても、助けを求めて情報を探しまわっても、こたえに辿り着けない。


同じようにたくさん苦しんだ自分だからこそ苦しみはよく分かる。そしてそんな自分だから聴ける話しがあると思う。かけれる言葉があると思う。自分が助けてもらったように今度は自分が同じように苦しんでいる人の助けになりたい。


今苦しんでいるあなたも必ず自分の道を歩けるようになる。

一緒に自分の道を歩き始めよう。



最後まで読んでいただき本当にありがとうございます。

まだまだ自分の道を歩き始めたばかりの私です。これからもたくさん失敗をしたり迷ったりすることもあると思います。でもそんな出来事がもしかしたら今苦しんでいる誰かの救いになるかもしれないと信じ、これからも言葉をつづっていきます。

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