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20200612 「私の方が」と思う件

何故かはわからないけど「私の方が」って思ってしまう事って人には多かれ少なかれある気がする。そう思うのが何なのかはわからないが多分備わっているのだろう。私も思う。今日はそんなぼやき。

人との話の中で、こんな事があったという事柄を聞いた時に「私の方が凄い」とか「私の方が大変だった」という気持ちが生まれてくるのは何なのだろうか。まぁ物理的にそう思うのは仕方ない。100メートル走を10秒で走ったという話に対して、私は9秒で走れるなぁと思うところまでは事象としてそういう話である。

もし、10秒で走ったという話を持ち出した人は、いつもは11秒なのに一生懸命走って10秒という結果が残せた場合。何だかそれは凄い事のように思うが、頑張っている人と早い人のどっちの方がどうだという事は無いのだろう。判断はどの切り口で行うかだけで、比べた先に何もないように思う。思う先には何もなさそうなのに「私の方が」は何故か発生してしまい、最悪の場合お互いの心をかき乱す問題になったりもする。

「私最近3キロ太っちゃって~」という話を聞いた時に、例えば自分の方が太っていたとしても、言いだしたその人は3キロ太っているのだからこの場合は自分がもっと太っている事はきっと関係ない。今は相手の話のターンであるように思える。しかし、ここでも「私のほうが」が渦巻いた場合、相手の話を軽んじたり奪ったりする事にもなるだろう。

正直、私的に体重の話なんかはどう思っても良いのだけれど、人の話に対して「私の方が」が渦巻いた時に、その人の話を軽んじてしまったり、事象が捻じ曲がってしまうような感覚がある。きっと、比較が自分になるせいであろう。自分ベースになるのは当たり前ではあるのだが、相手の人生を尊重するのであれば、自分の人生とは違う道を歩んでいる人として、全てを自分の経験とは全く違う話として聞くくらいの心持ちで良いのかなと思っている。

勿論「私の方が!」「いいや私の方が!」という言い合いが楽しい場合はそれで良いと思うのだが、お互いに尊重し合うような間柄を求めるのであれば「私の事は私の事」であり相手と混同しない事がひとつあるんかなぁと思う今日この頃であったりする。

どんだけ年を取って経験値が増えようと、常にピュアな目線でありたいものだ。

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