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【18歳以上推奨】サイコパスと嗜虐性

映画やニュースで耳にする「サイコパス」という言葉。
冷酷な犯罪者や危険人物の代名詞として使われることが多いですが、実際はどうでしょうか?
今回は、「サイコパス」と、それ以上に恐ろしいかもしれない「嗜虐性」について掘り下げてみたいと思います。

サイコパスの定義

「サイコパス」という言葉は、医学的および心理学的には人格障害の一形態を指すものとして使われますが、正式な診断名ではありません。
臨床的に関連する診断としては「反社会性パーソナリティ障害」(Antisocial Personality Disorder, ASPD)があり、サイコパスはその中の特定の特徴を持つ個人を指すことが多いです。

サイコパスは以下のような特徴を持つとされます:

  1. 共感の欠如:他者の感情や苦痛に対して共感を示さない。

  2. 罪悪感や後悔の欠如:自己の行動に対して罪悪感や後悔を感じない。

  3. 感情の浅さ:感情的な反応が表面的で、深い感情体験が乏しい。

  4. 冷酷さや操作的な行動:他者を冷酷に扱い、自己の利益のために他者を操作する。

  5. 慢性的な無責任:行動に対して責任を取らず、社会的なルールや規範を無視する。

  6. 衝動的な行動:計画性がなく、衝動的な行動を取ることが多い。

一般的には、「他者の気持ちを考慮しない、自己中心的で人を攻撃すること、人が苦痛に感じることに理性が働かない」ような人物が描かれます。
ということは、要は、人が当たり前に判断ができる、リスクとリターンの判断、未来予想の判断ができない人間です。
つまり、平たくいうと、頭がいいとはいえない方々ですね。

殺すと、警察に捕まり、刑務所に入れられる
人に恨みを買うと、仕返しをされるかもれない
嫌われることを回りの人すると、自分が損をする

そういった、普通の人なら当たり前に考慮できるリスクとリターン、未来予想を、考えることができない、思い至らない人たちがわかりやすい例です。

サイコパスの危険性は、ある意味において限定的です。
例えば、「ムカついたら、殺す」を有限実行する人がいるとしましょう。
彼はブレーキの壊れた車と同じです。
遭遇してしまった人は、残念ですが殺されるかもしれませんね。
ただ、人を殺してしまったら、警察に捕まり、刑務所にぶち込まれます。
ですので、被害はある意味において限定的です。
完璧に証拠を隠すような計画的な犯行をする知能がある人は、「ムカついたら、殺す」という衝動的な行動に出ませんが、サイコパスのように衝動的な犯罪、一般常識から乖離した思考による犯罪の逮捕率は極めて高いでしょう。
むしゃくしゃしてやった、捕まった、刑務所行き・・このコースです。
万一、奇跡的にも事件が迷宮入りし、捕まらなかったとしても「ムカついたら、殺す」の有言実行者なら、すぐに他のことで捕まるのは目に見えてます。
リスクとリターン、未来予想の能力が低いサイコパスの犯行は、被害者は何人かにとどまり、限定的です。
人が殺される可能性があるという点においては危険な存在であり、「安全」という言葉を使うことはできませんが、「ブレーキの効かない車」というレベルの限定的な危険性であると認識は共有化できるのではないでしょうか。

知的なサイコパス

上記でサイコパスは、「頭がいいとはいえない方々」と表現しました。
ですが、経営者はサイコパス性が高いと成功すると聞いたことがありませんか?
学者、成功者等、知的な人間のサイコパス性が高いともよく聞きます。
ただ、これは先に上げたサイコパスと近いようで別の概念です。
これは「感情や人間性と論理を切り分けて考えられる人」を指すからです。
つまり、人の感情を無視して、効率性や効果、利益を考えることのできる人をそう呼んでいるにすぎないからです。

「〇〇さんが、悲しむからやめておこう」
「〇〇さんには、世話になったから、面倒をみよう」
「相手側に不利すぎる契約はやめておこう」
「法律的には問題ないけど、道徳的にやるべきでないからやめておこう」

そういった、人間性を排除して、論理的に効率性や利益を追求する経営者は成功しやすいです。

また、学術的な思考では、人の死は数で、そこに気持ちは入りません。
「高速道路の最高速度は時速何キロが適切ですか?」と言う点を考えるときに、事故件数と最高速度の関係を分析したうえで決定するでしょう。
もちろん事故ゼロを必須とするならば、車の使用を禁止するしかありません。
車を使用するうえでは、どれぐらいまでの事故数が適切な範囲といえるのかがポイントになります。
実際に今は、「AIの自動運転」の精度をどこまで認めるかが焦点になってきます。
これに事故ゼロを求めるとAI自動運転使用不可となります。
このあたりを決める能力は、本当に日本人の弱いところですよね。

人の死亡数と経済効果の学術的な視点を検討する場合、感情や道徳は切り離します。
人の死すらも、費用対効果の秤(はかり)にかけた検討を行います。

ちなみに「政治」は感情や道徳を踏まえた判断になります。
なので、経済効果があっても「AIの自動運転」はできない法を作ったりするような場合はよくあります。

ここまでの説明でわかるとおり、サイコパス性、つまり「感情や人間性と論理を切り分けて考えられる人」はサイコパスとは別ものです。
サイコパスは、「普通がわからない、普通でない考えをする人」に対して、知的なサイコパス性を持つ人と呼ばれる人たちは、「普通がわかったうえで、冷酷な思考ができる人」という感じですね。

ちなみにこのサイコパス性は人間誰もが持っているものです。
あなたは、韓国の映像を見て死刑になる国が、日本のすぐ隣にあり、実際に公開処刑になってます。何か思うことはありませんか?
ウクライナでは戦争になっています。ロシアに占領された地域の市民は今、そうまさに今、どんな目にあってるのでしょうか、何か思いますか?
レイプされた女性が刑罰を受ける国があり、今このときも絶望の渦中にいる女性がいます。どのように感じますか?

「そんなこと言われても・・・」ですよね。
わかります。我々は自分の影響の及ぶ範囲でのみ、共感し、怒り、悲しむようにできています。
意識的に感情・共感・道徳・倫理を切り離すことが得意な人がいるだけで、このサイコパス性は本来、人間の皆に備わっている機能といえます。

さて次に行きましょう。次は「嗜虐性」です。

嗜虐性とは

嗜虐性とは、嗜虐とは人や動物に苦痛を与えるのを好む性癖を指します。
SMクラブとかのSですね。Sadism(サディズム)です。
加虐性とも言いますが、まぁ言い方は些細な問題なので、気にしないでください。

さて、この嗜虐性は、誰しも持っているものだと私は思います。
FPS(一人称視点の銃を撃つゲーム)で、相手を撃ち殺したとき、
映画で嫌いなキャラクターが、ぶちのめされたときに爽快感を感じる人は多いですね。
いじめが社会からなくならないのも、人間にとって、いじめが楽しいと感じる本能があるからです。
昔の死刑執行は、世界中で娯楽であり、見物客が多かったのも有名ですね。
芸人が馬鹿なことを言って、叩かれる、酷い目にあう、それで笑いをとる、人を馬鹿にして、中傷し、イジって笑いをとる、文字にすると酷いですが、実際に行われてますね。

そう、嗜虐性は、人間と言う種に備わっている一つの機能です。
そして、この機能を持つと同時に、我々は理性も持っております。
相手が不快になったとき、その不快を感じ自ら共感したり、
社会的に誤った行動に対して、憤りを感じたり、
人が泣いているのを見ると、助けたいと感じたりする機能です。

嗜虐性は、本能的に人間に備わっている機能なので、捨てることはできません。睡眠欲、食欲、性欲と同じで捨てることができません。
ただ、強い理性で押さえることができるものです。

嗜虐性の怖さ、シリアルキラー

この嗜虐性の最も怖い点は、知性と関係がない点です。
例えば「人が痛めつけられ、泣き叫ぶところを見たくてしょうがない人」でかつ、共感性が高く、責任感があり、コミュニケーションの能力が高い人が存在するということです。

これは、怖くないですか?
人を殺したくてしょうがない、痛めつけたくてしょうがない、人が泣き叫ぶさまを見たくてしょうがない性癖の、まともで頭のいい知的な人がいるということです。

この嗜虐性の欲望を、理性で抑え込めなかった人、自分を自制できなかった人は、知的な殺人鬼になりえます。
シリアルキラーの誕生ですね。
シリアルキラー(連続殺人犯)の定義は、3人以上の殺人一定期間の間隔を置いて行う者を指します。
彼らは、知的で計画的で、証拠を残さない動きをします。
死体がでなければ、行方不明の扱いになり、警察の捜査も限定的です。
怖くないですか?

去年も、日本では行方不明者は5000人近く出ています。
少なくとも私は、誰かに「ホラー好き」と言われたら、ホラーの中でどういう作品が好きなのか聞いてみることにしています。
嗜虐性・残虐性が高い作品でないことを確かめるために・・・

以上、サイコパスと嗜虐性についての記事でした。
あんまり、こういう記事がないので・・・・思いつくまま書いてみました。

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