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坂本龍馬暗殺の謎! 幕末の風雲児を、誰が何のために斬ったのか

坂本龍馬といえば、日本史上において非常に人気のある人物です。司馬遼太郎の小説『竜馬がゆく』を読んだ人も多いでしょうし、2010年のNHK大河ドラマ『龍馬伝』(主演:福山雅治)も話題になりました。一介の浪人でありながら、先見性と行動力で薩長同盟や大政奉還という時代を転換させる場面に関わり、海援隊を率いて世界の海へ乗り出すことを夢見た姿は、実に魅力的です。しかしそんな龍馬は、維新直前に京都において、何者かに暗殺されました。今回は龍馬暗殺の真犯人は誰なのかを探った記事を紹介します。

実行犯は京都見廻組なのか

ちょうど『龍馬伝』が放送中でしたから、今から10年前の話ですが、長野市内の書店から招かれて「龍馬暗殺の謎を解く」と題してセミナー的に話す機会がありました。龍馬が置かれていた状況説明と犯人についてはさまざまな説があること、その中でも実行犯としてはほぼ京都見廻組(きょうとみまわりぐみ)で確定的であると話したことを覚えています。

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お客さんとの質疑応答も複数あり「とはいえ見廻組は警察組織ですから、彼らが公務で実行したのであれば警察行為であり、暗殺と呼ぶのは不自然ですよね」「龍馬を討ったことで、見廻組の面々に褒美が出たという話も聞きません」などと話したと思います。もっとも後で、元隊士の渡辺篤(わたなべあつし)の証言から、手当が出ていたらしいことがわかりました。

見廻組の背後に黒幕はいないのか

また、実行犯が京都見廻組であったとしても、彼らに情報をリークし、龍馬を消そうとした存在はいなかったのか。その可能性についてもお話しし、土佐藩士や薩摩藩士の言動、当時の風聞などから、「あくまで私の個人的感想ですが、薩摩藩が疑わしいかもしれません」とし、「皆さんもぜひご自身で推理してみてください」と申し上げ、会を締めくくりました。

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あれから10年。何か決定的証拠が見つかったわけではないものの、改めて周辺情報を整理し直し、自分の中にくすぶる黒幕への疑いもできるだけ客観的にとらえ、考えを自分なりにまとめたものが、今回紹介する和樂webの記事「なぜ死なねばならなかったのか?幕末最大の謎、龍馬暗殺事件に迫る!」です。ぜひご一読ください。

当時の京都では何があってもおかしくなかった

記事はいかがだったでしょうか。黒幕の可能性として土佐藩や薩摩藩についても触れましたが、あくまで状況証拠しかなく、現状においては京都見廻組が単独で行ったと結論づけざるを得ないでしょう。ただ、それでこの一件は片づいたとしていいものなのか。

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記事でも触れましたが、暗殺直前の龍馬は、誰に命をねらわれてもおかしくない状況に置かれていました。将軍徳川慶喜(とくがわよしのぶ)が、家康以来260年続いた政権を手放す大英断を下した以上、新たな政権はそれに応えるべきだと龍馬は考えたのかもしれません。一方、慶喜を新政権に迎えることは絶対に避けたいと、薩摩や土佐の討幕派は考えていました。慶喜の政治力を怖れたのです。龍馬が土佐藩邸にも薩摩藩邸にも入らず、市井の近江屋(おうみや)を宿としていたのは、討幕派と考え方の隔たりが大きかったからでしょう。むしろ、公議政体派の幕臣たちを、龍馬は同志と感じていたのかもしれません。しかし、幕府内には大政奉還に憤(いきどお)る者も少なくなく、その急先鋒である幕臣の見廻組に襲われたのは、皮肉というべきでしょうか。いずれにせよ、この頃の京都では何があってもおかしくないという認識を持ちながら、今後も幕末史に接したいと考えています。



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