ポッキー&プリッツの日という能天気な日に亡くなった先輩芸人
僕は元芸人のイベンター、タカムラ、11月で35歳になる。
お笑いライブや地下アイドルライブ、音楽ライブの主催・制作をしている。
正直書こうかどうかかなり迷ったが、35歳になることといろいろなことを思ったので
書こうと思う
11月11日、Twitterなどがポッキー&プリッツの日と騒ぐ日本の平和さを詰め込んだような
そんな陽気な日に僕の先輩は亡くなった。
その人は元フォークダンスDE成子坂、鼻エンジンの村田渚さんだ
10年前、2006年の11月11日志半ばで天国に旅立った先輩である
僕ぐらいの世代の芸人を目指した人間にとって「ボキャブラ天国」の影響はかなり大きい。
その「ボキャブラ天国」に出ていたフォークダンスDE成子坂、そして村田渚というのはかなり憧れの
存在である
僕が上京した時にはフォークダンスDE成子坂は解散しており、もうあの成子坂にしか出せないあのシュールな
持ち味のネタは見れないのか、と悲しんだものだった
それから何年かたって2004年SMAがお笑い部門を立ち上げることになり、2005年に松丘慎吾さんと「鼻エンジン」という
コンビを組んで村田渚さんはSMAに入ったのであった
それを知ってすぐ僕もSMAでコンビを解散したばかりの人と新コンビを組んでSMAに入ったのであった
憧れていた先輩と同じ事務所にいれるというのはかなりうれしかったし、初めて話せたときは本当に
うれしかった
とはいえそんな近しい関係ではなかったし結局は憧れの人ではあったのだが
その時の僕のキャラが故に「天才と組んでるらしいな」と当時の相方が言われて「天災の間違いじゃねえのか」と
つっこんでいたが、例え天災でも覚えてもらえたのは嬉しかった
事務所ライブの手伝いをしている時、渚さんがエコーを吸ってるのを見て「こんなジジイみたいな
タバコ吸うんだな、渚さん」とふと思った
エコーは安いうえにかなりきついタバコで決してかっこいいタバコでもないので、「こんなタバコ
吸うのってタバコやめられない人なんだな」と「こんなの吸って身体大丈夫かな」という
気持ちと同時に憧れの人の人間臭い部分が見えてこの事務所入ってよかったな、と少し思ったのであった
決して大きくはない背中だったが、笑いに対してはすごく真っ直ぐでその背中はかなり大きく感じた
この人はM-1を取れる人だと信じて疑ってなかった
しかし2006年11月11日、渚さんは亡くなった
亡くなったことを聞いた日のことは頭が真っ白とパニックといった状態だった
すげえまとまってないブログを書いて誤報だと信じたい人から「てめえ殺しに行くぞ」なんて
メールが送られたりと誰もがパニックだった
その日はライブだったのだが芸人が集まってのリハーサルなんてだいたいわちゃわちゃしてるもんなのだが
あんな静まり返ったリハーサルは後にも先にもないだろう
そんなショックな日々から半年たって村田渚さんの名前から、Beach→渚、Village→村をとった劇場
BeachVができた時そこで何かをやりたいと思い、ライブをした。
それがライブを主催するきっかけとなった
渚さんが亡くなってなかったらライブの主催なんてやることはなかったかもしれない。
あれから10年。僕は芸人をやめたり地下アイドルライブや音楽ライブ、そこに芸人コーナーを入れた
ライブなどをしたり相変わらず迷走している
SMAの先輩たちが多くの賞レースで結果を出す中、自分は相変わらず地下を抜けられない。
この11月11日という日が来るたびに自分の頑張ってなさを思い知らされたりして情けない気持ちに
なる。
思い描いていた35歳とも全然違う。
渚さんのいた10年前とも全然違う。
でも生きている限りはいつでもチャンスがあるんじゃないか、と思える日でもある
11月11日ポッキーやプリッツでタイムラインが賑わうこの平和な一日に頑張ったって胸を張って言える
その日を目指して僕は生きているのかもしれない、と思った
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