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No.1006 テレビ大事

引っ越してからテレビを買った。
インターネットは強く意識しない限り自分の興味のある情報しか流れないので、もっと広い範囲の情報を拾いたくて買ったのだが、かなり良い買い物だった。

自分が特に良いと感じた点は、ずっと自分をターゲットとしない情報が流れている点だ。これは先ほど述べた「広い範囲の情報を拾える」というメリットとは近いけど異なる。
ずっと、うっすら興味があるけどどうでもいい情報が部屋全体に流れているのだ。

暇なとき、ついスマホを触ってしまうことがある。特に必要があって触るのではなく、雑多な情報に触れていたい場合である。
このとき、スマホは自分をターゲティングした情報を流してくる。また、自分もそれに完全に受け身な状態ではなく、画面をスワイプするなどで能動的な動作が必要となる。ここで、心理的に自分とスマホとが緩く縛られた状態になってしまい、他にやることが億劫になってしまうことがままある。
また、スマホの画面が小さいことも、スマホと自分を縛る紐帯を作る一因だ。物理的に視界がスマホの画面で埋められている状態は、心理的にもスマホ以外のことをさせない縛りを作る要因になっているように感じる。

一方、テレビは自分にとって、ある程度ならその情報を見逃してもいい猶予を作ってくれている。それは自分の興味の薄い分野のニュースであったり、CMだったりする。自分がスマホをつい見てしまうのは、その情報の質がどうであれ、常に情報に触れていたいという欲求からだ。テレビはそのニーズを満たしつつ、テレビに縛られるほどの強い求心性は持たない。
先ほどスマホは視界を塞ぐと述べたが、テレビは自分という個に向けられたものではなく、環境音のように空間に広がっているものだ。自分ではなくリビングを活気付けてくれる。

正直、現代において情報を得たいのなら、テレビから得られる情報はほとんどスマホでも調べられる。
ただ、何もしていない状態に耐えられず、別に触りたくもないのにスマホを触って無為に時間を過ごしてしまう自分にとって、ずっと部屋に情報を漂わせてくれるテレビはかなり重要な日用品かもしれない。

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