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スーパーでトマトを買った

 私は昔、農業をしていました。といっても自分たち家族が食べる分は十分に作れていますが、そのほかはたまに直売所に余った野菜を出す程度。自分で育てた野菜を食べていたので、お店で野菜を買ったことは一度もありませんでした。よく農業は不安定などと言われますが、品質に拘らず自己満足の範囲でする分には、トマトやナス、白菜やレタスなどを時期ごとに畑に植えておけば、季節ごとに食べるものが自然発生する装置を持っているようなものです。私はこのスタイルの生活がけっこう気に入っていたのかもしれません。

 しかし、つい先日、農業をしていた場所から事情があって引っ越し、街での生活を始めました。現在はアパート暮らしで畑もありません。食べる分の野菜をお店で買わなければならない状況になりました。畑で好きなだけ野菜をかじったり、ボウルいっぱいにトマトを入れて食べたりすることができなくなったのです。

 先日、スーパーでトマトを買いました。桃太郎のような大型のトマトで7個入り298円のところ、割引されて198円になっていました。その時、急に「野菜に値段がついている」ということを実感しました。私の直売所に出していたトマトと同じような値段でした。トマトを丸かじりしながら、これは1個30円から40円くらいだなと考えたことはなかったのですが、私が育てていた畑には「金のなる木」がたくさんあったんだなと改めて思いました。

 私の家の農園には資本主義とは別のルールがあり、作物の収穫量や天気など、経済とは関係のない力で回っていたのだと改めて思います。そういう意味では、お金の一本槍で他の人の働きを信頼してそれの対価を払って生活する現代社会の人々の生き方はある意味でたくましいと改めて思いました。農村ではもし明日お金がが無くなっても、畑には作物があり、最悪その作物から種を取ればしばらくは生きていけます。

そういう意味で、全く違うルールで生活をし始めたんだなとスーパーでトマトの値段を見て考えました。今住んでいるアパートでは、頑張ってもプランターでバジルやシソを育てるのが限界ですが、以前の生活に比べて自分が少し平坦になったような、厚みがなくなったような気がします。スーパーで買ったトマトはさすがに値引きされているだけあって、鮮度が落ちていて少しぶよぶよしていました。

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