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【書評】沼津藩(シリーズ藩物語)

戦国時代、沼津の地は今川氏、武田氏、北条氏が争った要衝の地であり、江戸時代には、大久保家、断絶期を経て後期は水野家が治め、東海道の宿場町としても栄えた城下町だった。
本書は、戦国時代から明治維新後までの沼津と沼津藩の藩政、藩士・領民の生活・文化、忠友、忠成、忠誠と3名の老中を輩出した藩主水野氏の幕政参画、幕末期の動乱など、地域の歴史が語られている。

本書の著者

樋口雄彦著「沼津藩(シリーズ藩物語)」現代書館刊行
2016年9月16日発行

本書の著者の樋口雄彦氏は、1961年、静岡県熱海市生まれ。静岡大学人文学部人文学科卒業。国立歴史民俗博物館・総合研究大学院大学教授。

本書の章構成

本書の章構成は以下のとおり。

第1章 前史―江戸時代前半までの沼津(沼津に築かれた三枚橋城には、江戸初期に大久保氏が二万石で入る。)
1 戦国時代の三枚橋城
2 江戸初期―大久保忠佐の沼津藩
3 藩がない時代

第2章 沼津藩の成立(江戸後期、水野氏を藩主とし沼津藩が成立、沼津は再び城下町となった。)
1 水野忠友による立藩
2 老中水野忠成による幕政
3 領地と領民

第3章 沼津藩の展開(主君への奉仕と藩の経営にあたった藩士たち。彼らはまた文化の担い手でもあった。)
1 藩士の身分と生活
2 藩士が担った文化

第4章 海防と幕末の動乱(対外危機の中、伊豆での海防に奔走。戊辰の戦乱では早々に新政府に恭順する。)
1 海防・砲術・安政大地震
2 戊辰戦争と藩政改革

第5章 明治維新のあと(明治初年の菊間転封、そして廃藩後も旧藩主・藩士らの交流は続いた。)
1 維新後の転封―菊間藩
2 分家・旗本水野春四郎
3 明治を生きた旧主と旧臣

本書のポイント

本書では、沼津藩に関わる武士と町人の歴史が語られている。
本書に書かれている内容の一部を紹介する。

老中水野忠成による幕政

沼津藩二代目藩主となった水野忠成は、首座・勝手掛の老中として17年に渡って幕府の行財政を一手に握った。
忠成が筆頭老中として活躍した時期は側近政治を再現し、忠成政権下では賄賂や請託が横行したことから「水野出て 元の田沼と なりにけり」「びやぼんを 吹けば出羽どん 出羽どんと 金がものいう いまの世の中」などと皮肉られた。
一方で、良い人材の発掘・登用などを進めるなど、「組織のリーダーとして優れた資質を備えていたようである」と述べている。

盲目の藩士

御勘定所吟味役などを務めた藩士芹沢五左衛門の弟佐一は盲目だった。
佐一は江戸時代の盲人の官位「勾当」を得て、「江戸深川の藤田検校のもとへ行くことを届け出る」。
1860年(安政7年)閏3月、佐一は「藩主水野忠寛を治療するため出府を命じられ」、2年半に渡って治療を施し終え、妻とともに沼津に戻った。
「芹沢勾当の存在は、障害者であっても立派に武士としてい来る道が開けていたことを示」している。

第七代藩主水野忠誠

第七代藩主の水野忠誠は岡崎藩主本多忠考の四男で、1859年(安政6年)に沼津藩六藩主水野忠寛の養子になった人物。
1862年(文久2年)に、忠寛の隠居にともない家督を相続。「忠誠は英邁な君主として藩内もで好評であったようだ。」
翌年、奏者番件寺社奉行に就任。
忠誠は体調がすぐれず1864年(元治元年)11月に奏者番件寺社奉行を辞するが、1866年(慶応2年)6月、第二次長州征討への従軍を命じられ、同年7月に大坂に到着したところで老中に任命され、征長副総督として広島まで出征するが病が重くなり、同年9月に広島で死去した。

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