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青史探究

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街道と関連する都市にまつわるコラムを集めました。週二回の掲載を予定しています。
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#酒匂川

#27 江戸時代の小田原宿

江戸時代の小田原  江戸時代になると小田原は、譜代大名の大久保氏、阿部氏、稲葉氏などが治める小田原藩の城下町として栄えた。  小田原宿は、東海道五十三次の9番目の宿場として、1601年(慶長6年)正月に徳川家康が定めた宿駅伝馬制により、東海道の宿場町として設置された。日本橋を出立した人の多くが2泊目の宿として利用した宿場でもある。  理由は、天下の剣「箱根山」を越えるためには、小田原で泊まらざるを得なかったのである。また江戸からの距離も20里27町(81.5km)あり、1

#25 大磯宿と梅沢の立場

大磯宿  東海道五十三次の8番目の宿場である大磯宿は、1601年(慶長6年)正月に徳川家康が定めた宿駅伝馬制により、東海道の宿場町として設置された。  日本橋からは、16里27町(65.8㎞)の距離にあたる。  江戸寄りの平塚宿との間は27町(2.9㎞)と短く、一方、小田原宿との間は、4里(15.7㎞)と比較的長く、その間に徒歩渡しで有名な酒匂川があった。  宿場は江戸方より街道に沿って、山王町、神明町、北本町、南本町、茶屋町(石船町)、南台町の6町で構成されており、範囲