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青史探究

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街道と関連する都市にまつわるコラムを集めました。週二回の掲載を予定しています。
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#富士川

#33 富士川と蒲原宿

富士川の渡しと間宿岩淵 南アルプスや八ヶ岳などの信濃国と甲斐国の山々から駿河国を通り駿河湾に流れ出る富士川は、水と共に大量の土砂を下流へ運び、河口部の流域では川底が浅くなって川幅が広がり、古くから急流の大河として知られていたそうだ。 富士川右岸に位置する岩淵には富士川渡河の渡船場があり、東海道の街道筋には名物の「栗ノ粉餅」を売る茶店が建ち並んでいたそうだ。 富士川を渡河する東海道には江戸時代を通して橋は架けられず、渡船により旅人を往来させていた。 江戸末期の1845年(弘

#32 富士山南麓と吉原宿

富士山南麓の地形と河川 富士山の南に位置する旧東海道の蒲原宿から原宿に掛けての地域は、富士山から流れる河川で出来た沖積平野の地だった。原宿の北に位置する浮島沼は、「諸河川の堆積作用によって次第に泥炭化してゆくが、なおラグーンや沼沢地をとどめ」、「浮島ヶ原」と呼ばれる低湿地帯だ。 この辺りの地名も沼津、吉原=葦原、蒲原=蒲の原など、湿地帯を表す名称が続いている。 富士川の流れは太古は大きく東に蛇行して現在の田子の浦漁港付近は、往時、富士川の本流が流れ込む河口だったそうだが、