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青史探究

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街道と関連する都市にまつわるコラムを集めました。週二回の掲載を予定しています。
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#東海道五十三次

#36 清水湊と江尻宿

現在の静岡市清水区の中心部の江尻は古来から交通の要衝だった地域で、戦国時代には今川氏や武田氏も重要視したところだ。 江尻津と江尻城 天然の良港としての条件をそなえた折戸湾には、海上交通の要地として古代から湊が開かれていたそうだ。 江尻津は、静岡市清水区の市街地を流れる巴川の河口東岸にあった湊。 平安時代には、巴川の対岸にあった国府の外港「入江浦」への渡場として機能したと考えられている。 鎌倉時代後期以降になると、入江浦に替わって江尻津が巴川河口部の湊として隆盛となり、東

#31 浮島ヶ原と原宿

宿場として整備される以前の原宿(はらしゅく)は浮島ヶ原(うきしまがはら)と呼ばれ、愛鷹山南麓の沼津市西部から富士市東部にわたって低湿地帯が広がっていた。 愛鷹山系から流れ込む河川の水が集まったことで、浮島沼と呼ばれる沼群が形成されていたのだった。 原宿 原宿は、東海道五十三次の13番目の宿場として設置された宿場で、現在の静岡県沼津市にある。 原宿は規模の小さい宿場であったが、原宿の北側に見える富士山の姿は秀麗で、歌川広重をはじめとして多くの絵師に描かれた景観の地だった。

#30 沼津藩と沼津宿

 沼津は、江戸時代初期には大久保忠佐が治めたが、無嗣断絶による164年間の幕府直轄領の期間を経て、後期は水野家が治めた城下町でもあるとともに、東海道の宿場としても発展した町だ。 三枚橋城と沼津藩  戦国時代、沼津の地には三枚橋城という城があった。武田勝頼が後北条氏に対抗するために築いた城と言われている。 武田氏の滅亡後の1582年(天正10年)には、徳川家康の命により松井忠次が城主となり、家康の関東後の1590年(天正18年)には豊臣秀吉の家臣中村一栄が城主となっている。

#29 三嶋明神と三島宿

三嶋明神の門前町 三島は三嶋大社の門前町として古くから栄え、伊豆の中心であった町だ。東西を結ぶ東海道と南北を結ぶ下田街道・甲州道との交差する交通の要衝であった三島は、さまざまな地域の文化や産業の交流地点でもあった。 三嶋大社は、伊豆半島の基部、三島市中心部に鎮座する。 境内入り口の大鳥居前を東西に東海道、南に下田街道が走る。 周辺は伊豆国の国府があった地。 中世に入ると、伊豆国の一宮として源頼朝を始めとする多くの武家からの崇敬を集めたそうだ。 江戸時代の三島は江戸幕府の直