【道と歴史】船橋宿の謎
船橋は江戸時代の中期以降、佐倉街道最大の宿場町として賑わった宿場町だ。
「佐倉街道」以外にも、徳川家康が九十九里方面での鷹狩のために土井利勝に命じて整備した「東金御成街道」や館山まで通じる「房総往還」の起点であり、成田詣でも賑わった「行徳道」とも繋がる交通の要衝であった。
しかし、なぜか船橋宿は正式は宿場ではなく、間の宿と呼ばれる休憩施設という位置付けの町だったというのだ。
船橋市西図書館郷戸資料室のサイトには、「公式文書には「船橋宿」と書けないので、弘化元年(1844)に