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お肉の味がしない原因


まがりなりにも、僕の父は栃木では名が通る職人だった。
※写真は今は亡き父とまだまだ元気な母ですw
(姉の結婚式で)

肉の卸をしていてホテルやレストランの納めた先からは、渡邊さんが手当てして下さった肉は見たら分かると言われていた。

そんな父のもとで育ち、家でも和牛のとても大きな肉の塊を部位ごとにさばきわける父の包丁さばきの背中を見ては『カッコいいな!』と子供心に刺激をもらった。

家ご飯のベースは皆さんもご存知の母が作る料理が基本で毎食7.8品はおかずが出てくる料理上手であり、お腹いっぱいと言っても出てくる愛の塊であった。

父も料理をする人で、焼き肉やすき焼き、しゃぶしゃぶなどはもちろん黒毛和牛A5しか出ない、しゃぶしゃぶなら筒状の銅鍋で食べてたし、ステーキなら肉は父が焼いて付け合わせは母が担当して、姉とボクは木のステーキプレートとナイフフォークを前に前菜を食べてお肉の焼き上がりを待つ。ワクワクの幸せ時間だ。

そんな中子供の頃に疑問だった事が、、
毎日誰かしらは知らない人が家に来てご飯を食べ帰っていく。(管理していたアパートの大学生やいろんな事情で家を出なきゃならない人、様々な理由がある方を親代わりのような接し方で)
僕も少しずつ大きくなるにつれてその疑問が大きくなる。
この人達はご飯を楽しそうに食べて帰って行くけど、お金払うわけでもないしお礼の幅は全く足らない程度なんだからそりゃ笑顔になるよなと。

それでも父は焼肉の時はご飯なんか食べようものなら、ご飯なんか食べなくていいから肉食え!肉!と最高ランクの和牛を惜しみもなく出してくる。

家ご飯も最高な環境ながら、外食も父の卸し先や付き合いがある所に行くことが多く、
『今日はお父さんの取引先の所に行くからちゃんとするんだよ!』と行く道中の車の中で母に言われちゃんとしておくと、
店長やオーナーさんからえらいねーと言われてアイスをサービスして貰えたりするw
そんな環境で家食はもちろん外食のマナーもたくさん学んだと思う。

さて、今日伝えたいのはお肉の味の問題だ。
細かい理由は文字では書き起こせないので知りたい人は来店時に聞いてもらうしかないけれど、
昨今の外食ブーム、焼肉もおんなじだ。
それはいい事なのだけれど、
僕が感じたのは、イタリアンやステーキ屋さんの様な塊でお肉を焼くお店だと見た目は綺麗に焼けても美味しく焼ける人が少ない事、
焼肉屋さんも、焼く前のお肉は綺麗だが本来のお肉の味がしないお肉がほんと多い事。
需要と供給のバランスが崩れすぎているのと、ちゃんと手当してないからお肉の味が追いついていないのが原因だ。
子供の頃に家で食べた和牛の味や父が卸している焼肉屋さんやステーキ屋さんなどで食べたあの味には程遠い。
この店はこれが美味しい、他の店はこれが美味しい、それよりもマーケットが大きくなりすぎてるだけでしっかりとお肉を仕立てる職人がいないのが原因であり、
食べ手もちゃんとした味覚の元に食べ歩いて、美味しくなければ愛のある指摘をしなければならない。


仕入れる力があったとしても、そのお肉を美味しい状態で管理しているのかと言うと管理ができてなく、日々お客様が来るような店ならばなおさら、味のピークを迎える前にお客様に出すしかなくなる。本来の味よりも、その店のその部位を食べたと言う自己満になっている気がする。


味覚は十人十色だから美味しい不味いはそれぞれでいいと思っているけれど、何がまずいかというと、その投稿をすればするほど、提供する店の味は衰退していき、それを指摘できないお客様の味覚も衰退し、料理人も育たない。
何も良い事はないんだ!
本来大切にしなければならない命を、無碍にしていく行為しかしていないと言う事を理解して言動をしなければならない。

そもそも、僕からしたら時代錯誤の塊なんだよね。

僕もまがりなりにも料理人で、肉のことは多少知っているし調理もできるし仕入れルートも持っている。
僕は一般的に言う和牛は人間が作り上げた工業製品と言っている。
それは間違い無い。
それは求めれば求めるほど地球環境にも悪影響だし、仔牛を産むお母さん牛も産むだけ産ませてハイお役御免とババ牛と言われるのが増えるだけなのだ、

各々が自身の食文化の足元を見つめ直し、
正しい外食をする事こそ次世代に遺せる素晴らしい日本の食材や食文化が遺るんだと言うことを理解しなければならない。

僕がなぜ、難しい時期のお肉を使うのか、それはその理由と同じだ。
プロこそが難しい時期の食材を美味しくしてあげなければその食材(命)はただ殺されるだけで終わってしまう…
蝦夷鹿だけでもおそらく年間何十万頭と殺されるだけで終わる。(本州鹿はその何倍もあるだろう)その原因は誰ですか?人間です‼︎

だからこそ、プロの料理人が、俺は冬のこの時期のジビエしか使わないと言うと、食べ手の方は頭で食べさせられるから、『へぇ〜凄いこだわりですね!なるほど!』といいところだけを切り取る。
それは全くの逆でしょ!今の時代は特に。
難しいからこそプロが最低限美味しくしてあげる料理にしなければ、人間が生きている意味がないやん!

食は命を頂く時間。
物を食べる訳でも、店に来たことをアピールする場でもない、命と共に愛のある料理を食べて貰いたいし提供していきたい。

レストランでの食事とはいえ一つ屋根の下、家族団欒の様に、そこに居る他のお客様ともみんな一緒にご馳走を楽しむ時間がそこにはある。
そうすれば必ず食の愛が伝わるはずだから。

父はそう願って居たのだろう。

#takamasa  
#渡邊将史  
#飲食店の社会的地位の向上が最大の目的理由      
#食は心を育てる物礼節の学び場          
#今のままでは日本の食文化やレストラン料理人が育たない        
#オーナーもお客様もルールの上に成り立つ      
#お山の大将を無くし      
#料理人の前に人としての当たり前をしなければ変えられない       



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