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人生が終わった。人生が始まった。

ある日曜日のAM11:00

チャリで10分程度のところにあるカフェの窓側の席に座り、アイスコーヒーを手に取る。

外を眺めれば、平日とは少し表情を変えたビルが立ち並ぶ中之島の川沿い。

最近の日常。



そんな今から5年前。

20歳の頃に、たまたま立ち寄った本屋で「LIFE SHIFT」という本と出会い、100年時代を最も有効に生きるためには、3ステージ(教育→仕事→引退)の人生を早急に脱却し、人生を設計する重要性に導かれました。

そして当時から、日本の人口は減少する一方であり、親世代との前提条件が大きく異なる未来が待っていることも、この本を読み終えた20歳の私には安易に想像することができました。

「俺はこれからをどうしたいのか?」

サッカーを怪我で一時的に失い、未来に対するモチベーションもなかった20歳の私は、”ほどほどに生きること”への恐怖を感じていました。

「わざわざやりたいわけでもない仕事をしながら、生き続ける理由はどこにあるのだろうか?」



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そして、あれから5年。

自分自身の中では25年を終える節目を迎えました。

先日のリリース通り、私は2年前に株式会社Arxcsを創業し、サービスも順調に拡大してきました。売上規模は数千万のまだまだ小さな会社ですが、おかげさまで毎日24時間、会社のことを考える充実した日々を送ることができています。

そんな今回のnoteは、前回から1年弱となってしまってるため、私が今何を思い、何を考え生きているのか。

そして、未来の日本社会への期待感もなく、生きることへのモチベーションがなかった5年前から、大きく変化した思考をぜひ書き留めておきたいと思います。

ここで少しの下心をお伝えしておくと、このnoteを読んだ”あなた”といつか一緒に仕事がしたいと思いながら書いています。

そして、未来の自分に希望が持てない”あなた”にも、私なりの人生観をお伝えできればと思います。

さらに高望みをするなら、少しでも私のことを応援したいと思ってもらえると、それ以上の喜びはありません。


⒈すべては終わりがあるから尊い。

学生時代の夏休みは、なぜあれほど待ち遠しく、そして気づくとあと数日になってしまうのか。

現役時代の3日オフも、普段毎日練習をしていることが当たり前な生活からすれば、年間で一回あるかないかのご褒美みたいなもの。

しかし、怪我をしサッカーができない日常が始まると、毎日休みが続くことが退屈になり、無理をしてでも復帰を早めようとしてしまいます。

不思議なもので、終わりが明確にあるからこそ、我々はその時を待ち遠しく思い、記憶に残る思い出で埋め尽くそうと試みるのです。


今過ぎ去っているこの時間にも限りがあります。

人はいつかは死にます。

この5年で身内の死を二度体験し、死と向き合うことが生きるということなのかと、実感できるようになってきました。

死は私を目覚めさせてくれ、我に返ることができます。

「自分は一体何をしているのだろうか?これ以上、先延ばしにせずに今すぐ心の底から湧き出る感情に正直になれ。」と。

私には、世の多くの人間は基本的に喜びを先延ばしすぎなように映ってしまいます。

「とりあえず就職して経験積むわ。」

「年金も期待できないし、毎月の小遣いは1万円であとはドル建ての保険。」

今の20代の若者は、日本の経済成長はもう見込めないと諦め、とにかく「個のスキル」や「目的のない成長」に一生懸命になってしまい、もしくは国にも期待せず、寿命だけが延びるリスクに備えた対策に追われる生活になってしまっています。

80歳になって世界一周に行く気力があるかもわからない。水上スキーやダイビングを始めるには流石にリスクが高くなってしまうかもしれない。

我々20代が注意したいことは、手遅れになるまでやりたいことを我慢し、ただただ金を節約するような奴になってはいけないということだろう。

だからこそ、私が自分自身に強く言い聞かせていることは、”金や気力の無駄使いを恐れて機会を逃すことだけはナンセンスである”ということです。

いつ死ぬかわからない。いつ別れが来るかもわからない。

終わりを意識するからこそ、自分にしか見れない”今”を生きたいと、25年でようやく思えるようになりました。



⒉人生は究極の思い出作り。

さて、終わりを意識するようになると、我々は限られた時間の中で何を感じ、何を残したいと思うのでしょうか。

人によっては、歴史に名を刻みたいと思うかもしれません。富や名誉を得たいかもしれません。それよりも子孫や仲間を残し囲まれたいと思うかもしれません。

私は、シンプルに「やり切った」という感情だけでいい。

人生に正解はなく、世間が騒ぐ成功の大小が心の豊かさに比例するわけでもありません。

結局最後に残ることは、名誉でも金銭でもなく、何気ない思い出と自己満の達成感くらいでしょう。

私は過去の経験から、そんな何気ない思い出と自己満の達成感を得たことは少なからずあります。

幼少期の頃、やったこともないことに手を出してみて痛い目を見たこともあります。わざわざ組織に所属して、関わらなくていいトラブルをリーダーとして解決したこともあります。

別にやらなくてもいいこと。だけど、やってきてしまったこと。

25年生きてきて、結局記憶にあるのは、そんなことの延長なような気がしています。

そんな私は、何気ない思い出と自己満の達成感を得たいがために、個人的に以下のルールを押さえるようにしています。

⒈今いる場所に退屈を感じたら、新たな場所への一歩を踏み出す。
⒉いいなと思える人と出会い、理想の自分を描く。
⒊学んだことを素直に喜び、相手に感謝を伝える。

「僕はゲームのように生きることにした。」からの抜粋

私は変化のない日常には退屈感を感じてしまいます。

だからこそ、次どんな敵を倒そうか。どんなことしてたら時間を忘れて楽しく生きてられるか。自分にしか倒せない敵はどこにいるのだろうか。

そのくらいの感覚で毎日を過ごしています。

人生というものは、究極の思い出作りなのかもしれません。



⒊起業が生きる理由を教えてくれた。

冒頭でもお伝えした通り、私は起業し3期目を迎えようとしています。

ここまでの話から、起業したことさえ究極の思い出作りだったのかもしれません。

私のことを深く知る人間であれば理解があるかもしれませんが、私は他人に興味がなく、学校や世の中の”平均”という基準に見向きもしない性格です。

よく表現すれば、軸があり周りに流されない、悪く言えばとっつきにくく、扱いにくいタイプです。

そんな私が、まさか人と関わる「教育」をテーマに事業をやっているとは、学生時代には想像ができなかったことです。

サービスのきっかけは、5年前の自分自身に手を差し伸べるられるような居場所を創りたいと考えたことで、自分自身のような体育会学生は他にもいるのではないかと仮説を立てたことからでした。

結果的に、これまで業界になかった全く新しい切り口から、問題定義をすることができ、新たな価値を市場に生み出すことができました。(まだまだこれからですが。)


では、ここで少し話は変わります。

弊社の理念は、”人々に覚醒を。人生に自分らしさを。”です。

実は元々の理念と少し変わっており、Arxcsで多くの学生と対峙してきたことで導くことができた私の存在意義です。

そもそも、我々は自分自身の可能性に気づけていない。
もしくは、勝手に自分自身の可能性に蓋をしてしまっている。
覚醒とは、眠りから目覚めること。迷いからさめること。そして、興奮させること。
我々は、人々の可能性を信じ、きっかけとなる体験を生み出し続け、人々の覚醒にコミットし続ける。
そして、我々に関わるすべての人々が、一度しかない人生だからこそ、自らにしかない価値を認識し、
自らにしか出せない「らしさ」を思う存分発揮してほしい。

ArxcsHPからの抜粋

私はArxcsというサービスを通じて、多くの学生が些細なきっかけで覚醒する瞬間と出会い、他人に興味のない私がそんな瞬間に出会った時にだけ、ほんの少し脈のテンポが上がっていることに気がつきました。

大前提、他人を変えることはできません。ですが、本来すでに手にしている可能性を解放させることは、きっかけ次第で可能です。

私の使命は、そんな覚醒体験を生み出す居場所作りをビジネスという手段を使って体現していくことなのだと、人生25年で辿り着きました。

そして、そんな我々が目指すビジョンは”スポーツに魅了された人々が、覚醒できる居場所をつくる”ことです。

オンライン教育プラットフォームを皮切りに、イベント事業やプロダクト開発、飲食事業やスポーツクラブの運営。

手段はなんでもいい。

とにかくそんな未来を気の合う仲間と創り出していきます。


⒋いかに生きるかという志さえあればいい。

私も含めての話ですが、スポーツに魅了されてきた人間が、競技を引退し次なる挑戦に苦戦を強いられるのには明確な理由があります。

ルールと目標を案外決めてきていないということ。

サッカー人生を振り返ってみると、まずはリフティングの最高記録を更新することが目標になります。そしてサッカークラブに入ると、いくつもの大会があり、大きなものは全国大会にまで続いていきます。

そして、同世代で頭ひとつ抜けると、選抜に入り各地域で選ばれてきた精鋭と戦うことが増えていきます。そこで負けたくないライバルに出会うことになります。

シーズンが終わると、また新たなシーズンが始り、昨年以上を目標に向かって毎週のように公式戦が続いていきます。

常に誰かが作った大会で優勝を目指し、仲間と競い合い、そんな日常が当たり前になっていきます。

しかし、いざ競技を手放すと、自分が社会の中でどんな種目を戦えばいいのか、どの山を見据えて登り始ていいのか、だれにも正解がわからないゲームのスタートボタンを勝手に押されてしまうのです。

アスリートはルールがあり、決められた枠組みの勝負に対しては、コミットメント能力を発揮します。

一方、ルールを自ら作り、勝ち筋がはっきり見出せていないゲームになると、途端に戦闘能力が落ちてしまいます。

過去の日本社会では、余計なことを考えなくても、勝ち組と呼ばれる競争レースがあり、人口も増えビジネスも作れば売れるので、とにかく汗水垂らして走り続ければ結果を得ることができました。

しかし、皆さんもお察しの通り、そんな時代はもうどこにもありません。

そんな現代に必要なことは、生きる志なのだと思います。

なぜ生きるのか。

そんな素朴な問いに自らの言葉で言語化する力が、大きな原動力となって自分自身の進むべき方向を示してくれ、自らにしかわからない正解へと導いてくれるのです。


よくArxcsに興味を持っていただく方々に、「Arxcsは何を提供しているのか?」と質問いただくことがあります。

サービスとしては、会員限定のサイトがあり、自己分析・人生設計のノウハウ動画やzoomでのディスカションを提供します。また、事業の0→1を生み出す経営ノウハウも動画や実践で体感できるようになっています。

ですが、私としてはそんなこと手段でしかないと思っています。

正解のない社会に出る最終段階で、生きる志を立て、自らの意思で歩みを進めることがArxcsで提供したい本質的価値です。

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PM1:13

ここまで夢中で文字を書き起こしてきましたが、アイスコーヒーの氷は溶けて無くなり、カップには水滴が滴り落ちています。

そろそろ、まとめなければいけません。


⒌人生4章節論

ここでタイトルの真意にも紐付きますが、私は「人生4章節」という考え方を持っています。

どういうことか。

つまり、人生100年時代と言われる今日において、第1章が0〜25歳まで、第2章が26〜50歳まで、第3章が51〜75歳まで、第4章が76〜100歳と4分割にすることができるという考え方です。

今の心境は、「第1章の人生が終わり、第2章の人生が始まる。」まさにそんな感覚です。

第1章では、サッカーという競技に熱狂し、興奮し、人としての土台を形成する時間でした。まさに多くの人たちと社会に与えられ続けてきました。

そして、第2章のテーマは「課題発見」と「意味の創造」です。

令和に入った日本社会。

かつては、先輩方が発見した課題を解決すべく、モノやコトを作り出し世に広める能力が圧倒的に重宝されてきたように感じています。

しかし、そんな社会背景の一方、我々が住む地球環境の問題や人権問題、そして生きがいという問題が浮上してきています。

私は、世の中の課題を見つけ出し、仕事の目的・働く意味など、本質的な価値を言語化・構造化できる人材が人を惹きつけ、結果的に大きな価値を創造できるのではないかと思います。

なぜその仕事に取り組むのか。誰のための課題解決なのか。

そして、なぜ生きるのか。

私自身はスポーツという領域は変わらずとも、人や社会の課題を発見し、意味を見出し、価値を創造するために自らをベットする新たな25年間にします。


⒍最後に

今回のnoteは節目のタイミングでもあったので、少し今の思考に向き合い、素直な考えを書き綴りました。

所々は、自分に酔いながら書いてしまっているかもしれませんが、ここまで読み進めてくださった方、お付き合いいただきありがとうございました。

そんな最後にメッセージを。

「貸しの多い人生にしましょう。」

ここでの「貸し」は、お金を貸すことや見返りを求めることではありません。

自分の知っている情報はシェアしたり、誰かに相談されれば時間を提供し、重い荷物を持っている人がいれば、力を貸すこともできます。「貸せるもの」は誰にでもあります。

なぜそう感じているのか。

その方が人生の幸福度は間違いなく高まるというシンプルな理由が一つ。そして、私たち20代30代がこれからの日本を支える自覚を持つべきという意識を伝えたいということです。

今のZ世代と呼ばれる若者は、「自分なんて、、」というマインドが非常に強いと感じます。

自己肯定感が低い人が多く、「平均」を重視します。理想のポジションは「平均のやや上」。そこからは、上にも下にも飛び出ることに恐怖を感じるため、下に落ちることに対する恐怖心は絶大で、平均に留まるためなら努力を惜しまないことが個人的な感覚的特徴です。

(しょうもない。)

一方、40代50代の皆さん。そんな彼らに臆することなく要求してください。

少なくとも私の周りに集まる人材は、気を使われ当たり障りのないコミュニケーションをされると一気に冷めます。目標もモチベーションもそこまで必要なく、ある程度給料がもらえる環境には「不満」は全くありませんが「不安」だけが募ります。


私は少なくとも、そんな同世代と時間を共有したいですし、そんな先輩方に頼られる存在になりたいです。

ぜひ、今回のnoteを読んで私やArxcsに面白がっていただけたのであれば、SNSのDMでも会社の問い合わせでもメッセージをいただければと思います。


最後に、家族をはじめ、自分自身のわがままについてきてくれている仲間の存在、過去に力を貸してくださった方々に心から感謝して、また新たな一年を迎えようと思います。














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