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上海駐在物語 エピソード4 ゴルフ5

どうも!高倉JB珈琲のらいです。

さてみなさま、いかがお過ごしでしょうか?今日の本題は、『ゴルフのその後』というテーマです。私は現在アルバイトをしながら高倉JB珈琲で自家焙煎のオリジナルブレンドのコーヒー豆を通信販売(powered by BASE)で販売しています。この記事は、コロナで卸の売上が無くなり、アルバイトで生計を立てながら、個人様向けに合ったブレンドをゼロから作り、事業としてゼロからどのように起ち上げていくのかを記録するために書いています。

ん~朝から考えているんですが、何も出てこないんです。今日は…。こんな日もあるよね。と自分に言い聞かせている、らいです。

本題に入る前にお知らせを2つさせてください。まず、毎度お馴染みとなっております、高倉JB珈琲の公式LINEについて。ココでは、新しいコーヒーのブレンド(←現在新しいブレンド開発中!毎回言ってますが、ホントに難しいんです…今回は爽やかな酸味がテーマ!)のお知らせや、キャンペーンの情報をいち早く発信していこうと計画しています(←まだ計画段階ですが、計画はあります…笑)リンクを貼っておきますのでぜひ、今のうちに高倉JB珈琲公式LINEの登録お願いしま~す!

そして、お知らせをもう一つさせてください。高倉JB珈琲インスタグラムが、再開ています!『コーヒーおやじ』のインスタの楽しみ方を考え出したことを始めました。本日更新完了(←ザ・マイペース)ご興味がある方は、高倉JB珈琲インスタグラムのフォローをお願いいたします。フォローするまでもないけど、一度は見にきてくださーい!今のところ、上手くリンク先に飛んでいる(←たまに上手くリンク先に飛ばない時がありますが…)ので、一度クリックしていただけますか?もし上手くリンク先に飛ばない場合は、コメントで教えてくださーい!リンク先に飛ばまい時は、インスタで『 #高倉JB珈琲 #takakurajbcoffee 』で検索してフォローしてくださーい!本日のご登録者数、82名!新たに3名の方にご登録いただきました!ようこそ!高倉JB珈琲へ!ありがとうございます!ぜひ、コメント欄に『お答え』入れてください(←ご登録者様限定の内緒コメント)と言うことで100人まであと18人!となりました。よろしくお願いします!

そんなこんなで、今日の本題です(←昨日の記事はココ

『2万打』の練習課題をこなそうと日々、やれる日はやりながら、途中で『そもそも2万打で足りるの?』と疑問にも思いながら、『2万打こなせば分かるだろう』という一心で、親父とゴルフを楽しむため、頑張っていました。

そんなある日、上海の事務所へ一本の電話がありました。スタッフが『日本からのお電話です』と私に繋ごうとしたので、私は、「日本のどなた?」と聞き返しました。これは、教育という意味もあって、必ずそのまま繋がせることはしないということを決めていたからです。

で、彼の返事は、「日本のお母様です」との言葉に私は喜びました。『あ、パスポートが取れたという報告だな』と。

喜んで受話器を取って、聞いた母からの言葉は、『親父の癌が再発した』ということでした。すでに全身に転移していて、余命はもって半年だと今日お医者様から宣告されたとのことでした。詳しく聞くために、国際電話料金が高いので、すぐに折り返すと言って電話を切って、折り返し電話しました。どうやら、私がパスポートを取ってくれとお願いした時には、すでに親父の体調はあまり良くなかったらしく、パスポートは取っていなかったようです。親父は、パスポートを取って、上海へ行くために薬もきちんと飲んで頑張っていたようでしたが、体調が悪くなって病院へ行った時には、もう手遅れ状態だったそうです。タラレバを言うのはイヤですが、もし今の医療だったら、と今でも思うことが時々あります。

実は、パスポートを取るように両親へお願いしていた頃、私個人的には、離婚が決まり、離婚のために一時帰国し、いろいろと手続き関係や、2人で借りていたマンションからの引越しなどをバタバタと済ませ、それが終わると私と義理の弟と親父と3人で今後については、少し話していました。

親父は、私がいつ日本へ帰国するかどうか分からない状況だから、私を頼ることができないので、もし自分(←親父)がいなくなったら、あいつ(←母親)と一緒に住んでやって欲しいと義理の弟に親父が頭を下げました。私自身は当時、親父は必ず治ると信じていたので、そこまで深刻には聞いておらず、『まぁもしそうなったら頼むわな』程度に義理の弟に言っていました。

親父が亡くなった後に聞いた話ですが、離婚が決まり、引越も終わり、私が上海へ帰国したあと、私の両親は、先方のご実家へご挨拶に行ったそうです。そこまでしていてくれていたとは、全然知らず、私はただただ、『2万打』練習に打ち込んでいたとは…。

『電話で長くても半年やから、今帰って来いとは言わないけど、覚悟はしときなさい。次に電話する時はすぐに帰って来いという電話になるとおもう』という母親の言葉に私の頭は真っ白になったのを覚えています。あの時、母親を慰めることも、何の言葉も掛けることも出来ず、ただ「わかった」と言って電話を切った私がいました。

アカンのか…。その日の夜、準レギュラーのオーナーさんに食事に誘われました。どうやら私に新たなビジネスについて紹介したい方と会わせていただけるというとても有り難いお話だったのですが、少し深刻なお話があるので、その前に少しお時間をいただきたいとお伝えしました。すぐに『何かあるな?』と気付かれたのでしょう。では、一旦、和食レストランで待って軽く食事でもして待っていて。とお伝えいただき、その通りにさせていただくことにしました。

普段なら、一旦自宅へ戻っても、オーナーさんのご紹介となるとスーツに着替え直して出かけるところですが、その日は、着の身着のままのスタイルでおまけにキャップを被って、ヘアスタルもそのままに出かけていきました。

ランチの集客を立て直した私が夜行くと、店員さん達は大喜びしてくれます。ニコニコしながら私をVIPルーム(←個室)へ案内して軽く、鉄火巻を食べながらオーナーさんをお待ちしていました。

オーナーさんは、私を見るや否や・・・ 

オーナーさん:「フルちゃん、何があったの?」と深刻な顔で事情説明を求めてきました。

私は、これまでの全ての経緯をお話して、気分的にご紹介していただくのはとても有り難いことなんですが、今日のところはご遠慮させていただきたいと、オーナーさんさんのご要望に一度もお断りしたことの無かった私が、初めてお断りさせていただきました。

オーナーさん:「フルちゃん、今日はこのまま帰りなさい。食事代は良いからそのまま帰りなさい」と優しく私を玄関まで見送っていただきました。

私は、タクシーに乗ったあとの記憶が未だに思い出せません。

こうして、『親父とゴルフを上海でする』という夢は無残にも叶うことが絶たれました。そこで、私は、もう一生ゴルフをすることを辞めることにしたのです。親父と上海えで、帰国したら日本で一緒にラウンドする夢は叶うことがなくなったのです。

あとは、自分自身、今仕事でやれることをやって、親父に心配を掛けないように全力で進む決意い至ったのでした。

つづく…。

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