てんかんはじめ

外傷性硬膜下出血だったかな?2年ちょっと前に原因は不明だけど、バスステーションで倒れていたみたいで、救急搬送されて、何やかんやで急変して緊急オペ。

目が覚めた時にはICUの天井が見えてた。

喋ろうと思ったけど言葉が出ない。右手が動かない。動く左手で頭を触ってみたらハゲになっとる。

「おわた」と思った。

けど、徐々に喋れるようになり、右手も動きだし、5日間ほどで歩いてトイレに行けるようになり、機能検査も兼ねたリハビリを始めた。

最初は字が書けない。簡単な計算も出来ない。喋りも拙い。

色々とダメなのかな?と思ったけど「まだ終わるワケにはいかん」と言う思いが有ったのか、そうでも無かったのか・・・ なにせ毎日「脳機能検査」と言う名の拷問の日々。

少しづつ良くなっているような、そうでも無いような日々。

右手は完全に動くようになっている。まぁそれだけでもマシか。

しかしあの検査。大きな脳の病気やら怪我やらした人は必ず受けるのか知らないけど、タダでさえ脳にダメージ受けて大変なのに、何と答えれば良いのか分からない質問。しかも答えを一切教えてくれない。アレはイヤ。

それからもリハビリ等々続けながら25日程度で退院。 えっ?もう? という思いも有ったが、病院のベッドには限りがアルのだ。仕方ない。

リハビリは別の病院で続けながら、仕事にも復帰し、過酷な現場に行ったりもし、全体的に順調なイメージだった半年ぐらい経った頃。

飲んでいた薬「イーケプラ」の服用をやめてから1ヶ月ぐらい。五十肩が痛くて整骨院で鍼と電気治療を始めて2回程通った頃。クリスマスイヴイヴだったかな・・・

夜間作業の積み込みをしていたら、突然右腕が痙攣し出す。心臓の鼓動に合わせるように「ビクッ、ビクッ」と。寒かったので冷えたせいかと思い、電気ストーブで温めると、少しおさまって次第に痙攣は消えていった。。。

「なんだったんだろう」そう思って作業を続けていたら1時間後ぐらいに、また痙攣。

同じように温めるも今度は止まらない。簡単な計算をしようとしても出来ない。

「ヤバイ」

すぐに車に乗っているカミさんの所に行き状況を説明しようとするも『声』が出ない。「喋れないの?」と言うカミさんの質問に、頭を縦に振って答える事しかできず。「救急車呼ぶ?」と言われもう一度頭を縦に振った辺りから意識が無くなり、目が覚めたら病院の天井が見えてた。

これがオイラの「てんかん」はじめ。


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