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【祈りの習慣について ③】祈りの活動がもたらすもの

【前回からの続き】
突然ですが、祈りの習慣というトピックなのにこんな話もあれですが。

私は、沖縄のご先祖崇拝を別として(風習で家族が行うため従っている、という意味として)特定の宗教を持ってません。

(適切な言い方かな?宗教活動などは行なってません。というべきか?)

(*とはいえ身内が亡くなると仏教式の葬儀を行い、クリスマスもお祝いや寄付して初詣にはお賽銭も…ユタ的占いも頼りますし、、つまり雑食です。)

過去、近い人から宗教の誘いもありましたが(というより社会活動的なものかも)絶対的なものではなかったので丁重に断りし、他にも大小様々、勧誘を受けたこともありますが、お断りしています。

でも、神様のような存在などはあると思っていますし心や生活のよりべ(感謝や祈りを捧げる対象、癒しの場)としての宗教の存在、それに似た行為などへの偏見・差別は特にありません。

というか毎日のお祈りも、きっと立派な宗教的行為ですよね…。

ただ、あえていえば沖縄のご先祖崇拝をしてる、とは書きましたが、全面的に崇拝してるかというと…そうでもありません。どうしても血縁に執着する部分に関して悲しい思いをする人も多いと思うし。100%支持、ということでもないです、はい。

あと「お金を使う・使わない」も周りに迷惑をかけない範囲であれば個人の自由と考えます。

無宗教の理由は、(単純すぎて申し訳ないぐらいですが)集団行動的なものが好きではない自分の性格(たち)によるものが大きいです。

今は、テレビやネットなどでさまざまな宗教を知ることができます。

カナダにいた時は、師匠(いちおう無宗教ですがキリスト教系の厳しめの学校など卒業してた)の息子さんがモロッコの方をお嫁にもらった時に大騒ぎもありましたが・・・(今ではカナダとモロッコで共同製作したりとかすごい仲良い)。

その時に、イスラム教の慣習を垣間見ましたが・・・一定の時期に昼間断食をするラマダンがあったり血抜きの仕方が独特で(詳しくはググってくださいね)チキンなども必ずその処理を行った肉類を食べないといけないなどがあったり、改宗した本人は「ビールや餃子、トンカツが食べれなくなったのは残念」と言ってるぐらいで、愛は強いんだなぁと思ったりしました。あと料理のお手伝いしながら、ほぼほぼ沖縄料理は豚肉使ってる時点でNGだけど、魚料理はこゆときに、便利だなと思いました(笑)。

話がそれましたが。

思うのは、仏教や西洋の宗教などに限らす、どの宗教も「体や心の状態を持ち直す」ことにつながる儀式や習慣が織り込められていると感じます。

たとえばイスラム教徒の行う祈りは、日々のものだと思いますが、あの動き、やったことある人はわかると思いますが、結構な背中のストレッチ!!

ギリシャの宗教では(いつかのテレビで拝見)手伸ばしてぐるぐる回る光景が見られますが、あれ、三半規管にとてもいい気がします。

仏教の・・・木魚を叩いてお祈りするのも、めっちゃリフレッシュになりそうです。

教会も・・・・週に1日は、働かず、リフレッシュして、教会で集まって歌うってつまり楽しいですよね、きっと。

つまり宗教の儀式の中には、人間の体や心にいいことが必ず含まれてると思います。だから、その後の物事がうまくいくようにできてるんだなぉと思う。

(「バカの壁」ではヨガなどを組み込んで体の変化を持って洗脳に利用した悪用された例としてある宗教に関して書かれていますので、悪用厳禁だなぁとも思います。)

さて・・・。私に何か信じるものがあるとしたら、なんなのかなぁ。

あるとしたら・・・。

何もないところから、様々作り出して今の文明社会を作り上げた人間の想像力・創造力・理性かなぁ〜。

人間の怠惰な部分・破壊的な側面以上に、結果的にはそれらを凌駕してきた(と私は思っていますが)人間の良心と理性の部分に、憧れを持っており、「そうありたいな〜」と常に、思っているかもなぁ。(真面目に聞こえますが・・・行動は別ですので・汗)

最後に、父からも受けついだ、日々の祈りの一部を、自分なりにアレンジ(SDGS対応・笑)した今使っている文言を紹介〜。

「①冒頭に、神様仏様ご先祖の皆様への呼びかけが入り
 ②「自分から始まり〜家族・友人・地域〜全人類まで・笑)」が
 ③「今日も元気で健やかに、人に優しく、地球に優しく、自分に優しく過ごせますよう、どうぞお導きください。」

明日も良い1日となりますように〜。


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