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【舞台エッセイ】「洞窟(ガマ)」2024.6.20夜の回@ひめゆりピースホール

2022.6.24お芝居→舞台に改訂、舞台でした、間違えました!

最初に謝っておきます。舞台のその感想を文章にするなんて、大それたこと…と思ったけれども、衝撃的な体験すぎたので書きます!

今まで何回かエーシーオー沖縄さんの舞台をこの場所で見て感動していた。「カタブイ」シリーズの初めの舞台、「密航者」最近では「亀岩奇談」など…。それぞれにあの狭い空間に無限の物語を生み出す工夫に溢れていて感動していた。

ただ、「洞窟(ガマ)」(脚本:嶋 津与志、脚色・演出:藤井ごう)は、圧倒的だった!圧倒的すぎた、と言っていい。

もちろん私は戦時中の洞窟を知る由はない。しかし、物語の中の日本兵の執拗以上の弱いものイジメの感覚、悪趣味さかげんを見ているうちに、なんとも言えない気持ちになり。どんどん血の気が引いて、体が幽体離脱した感じになり、そのあとは、感情を飲み込まれないために客観的になりすぎて、物語には、入っていけていなかった、いや、というか、多分真逆だ。

入っていきすぎて、あのガマにいたウチナーンチュの一人として、「この地獄よ、早く終われ、早く終われ」と、感情のコントロールのために、生命の維持のために静かにしていた、に近い。

・・・この感覚、覚えてる。あの時の、だ!

昔々、経験した職場の一つで、目の前で、人が飛ぶまで殴られて続けているのを目の当たりにしたことがある。(カナダで映画修行をする前に季節労働でお金を貯めていた時期があり、その職場の一つでそんなことが起こった。)

もしかしたら男子であれば、一度や二度、いや毎日だって喧嘩などをしてたひともいるだろうし、あまり珍しいことではないかもしれない。いや、「喧嘩」なら、自由意志での殴り合いという意味では、見る側にトラウマを残したりは、あまりしないだろう。というかそもそも見る側に、みる・見ない、立ち去る、通報する、などの自由もあるし・・・。

もしかしたら私がアマちゃんなだけで、そんな職場は、今でも、たくさんあるのかもしれないが(あってはいけないと心底思うが)私は、初めてだった。

その時は、渡航資金を貯めるために沖縄を出たばかりで、なるべくその初めての職場でトラブルを起こして蜻蛉返りなんてのは避けたかったのか、または本能的に、保身のためだったかもしれない。何も言えず、何事も起こっていないかのように、業務を遂行するだけで、何もできなかった自分がいた。

殴ってる人は、嬉しそうにしていた。私は、暴力を振るう人間を心底軽蔑していたので、なるべく恐怖心も出さないように努めて無表情になっていた。

同時に、一方的に殴られているだけのその大人の男性も軽蔑した。そして何もできない周りも、私自身にも軽蔑して、ただただ、その時が過ぎ去るのを待つことしかできなかった。無表情にやりすごす若い女のその反応は面白くなかったのだろうか、そのようなことがあったのは、少なくとも私がいる中ではその時一回だけだったのは、不幸中の幸いだった。というか今思うとたまたま年末の忙しい時でイレギュラーな形で男だけの現場に女が入ったので、単に見せびらかしたかった可能性が高い(悪趣味だ)。余計に、新人として場の空気を読まず「何してんですか、異常ですよ。やめてください」と言えばすぐに止めたかもしれないとも思う。悔しいな…。

お芝居を見ながら、当時のあの嫌な時間を思い出してしまった。なので正直にいうと、舞台の冷静な感想は、多分あまり書ける状態じゃない。

でもそれだけ感情の記憶のトリガーになるということは、それだけ、目の前のことがフィクションだ、という事実の入り込む隙のないリアリティを作り出した、念入りな脚本とリサーチと舞台美術と、役者さんの鍛錬があってこそ、だ。

(あの時舞台で次々と殺されてしまった舞台役者さんにウートートーをしたほどに・・・)お芝居がお芝居を超えた瞬間なのではないか、とも思った。

クリエイターとして、沖縄戦を題材に取り上げることは、自分の見聞・スキルも低く、テーマに迷惑をかけてしまいそうで、まだ抵抗がある。

できればいつか、この作品のように、沖縄戦がかかえた様々な矛盾を、恐怖を、悲しさ、苦しさを、そしてできれば生き抜いた人への希望に感じることができるものを、作りたい。

現代人に戦争を擬似体験させるほどの力を持った本作を、多くの人にみてほしい。

さて・・・

あの時の自分が嫌すぎて、今は、ガタイのいい人や、威勢だけいい脅しにかかってくる男性を見てもあまり怯まずに行動や発言ができるようになった。

例えば自分よりガタイのいい野球部員たちが隠れて複数でタバコを吸ってるのを発見したとしても、「タバコは体に良くないよ、やめな」と注意する。撮影現場で「お前ら何やってんだ」「迷惑なんだよ」と憂さ晴らしのように言ってくる男性にも冷静に対応できる。(実際に撮影許可は取っていることも、もちろん心強さとして、あるけど)

というか、そのような声の大きな人や力の強さで物事を捻じ曲げようとする異常事態にNOと言えることができることが、平和づくりの一つだと思う。

でも昨夜は、カーテンコールが終わったあとでも兵隊さん役の人の顔を見るのが恐怖で見れず、ちょっと支離滅裂なことをアンケートに書いたような・・・この場を借りてごめんなさい。素晴らしい舞台でした・・・。

そして、劇中、しゃかりのチアキさんが歌った「骨の歌」(タイトルはパンフにも記載がなかったため勝手につけたもの)「骨が、私たちのことを思い出して」と言っている、という内容だったとおもう。

それが、明日6/22に桜坂劇場で公開予定の、「骨を掘る男」につながっているのでしょうか?と映画の神さまに問いかける。

監督は、同じ那覇高校出身の奥間勝也氏。
戦争を知らない若者として「なぜ」と問いかけている。
意外と、ありそうで、なかった視点ではないかと思っています。
こちらも必見ですね。

「骨を掘る男」


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