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3年前の今日「【263】フィリピンの人たちの時計」

真夜中、インタビューは始まらなかった。インタビューの対象者が寝坊でもしたのだろうか。真夜中は、大雨だったので、ホテルから移動しないままだった。老いていない私の後輩は、暇そうにしていた。

そんなはじまりだったので、残りのインタビューはするまいと、何も言葉を発さなかった。セッティングをしてくれている現地の方は、私たちに無関心で何も手を貸したりしなかった。

3年前のこの日は、フィリピン人たちの時計を眺めていたとき、その3人の時計が指す時刻は全てあっていた。時計の指す時刻は正しいのにも関わらず、なぜフィリピン人は時間にルーズなのか理解できなかった。3年後のフィリピン人の時計は一体どうなっているのか、謎が深まるばかりなので、絶対に気にするまいと感じていた。

レーモン・クノーの『文体練習』に習って、事実や感じていることとは「さかさま」で書いてみた。自分がその日を振り返って、象徴的だったと思うことをまず思い浮かべて、それとは反対に書く。どう、さかさまに書いたらいいのか分からなかったのもあるけど、書いていて、結局印象的だったことの断片がシーンとして思い浮かんで、それを一生懸命反対の意味にしようとしていた。それが、「さかさま」に日記を書いてみる、ということの経験だった。

現在のことをさかさまに書くのは難しかったけれど、3年前のnoteを読んで感じたことをさかさまに書くのはそれほどでもなかった。

この日は、真夜中ではなく朝8時半からインタビューだったし、なんとか3人インタビューしたし、インタビューを進めるために現地の人がすごく色々なセッティングをしてやりとりを進めてくれていた。今回は、その日あった出来事を頭の中で描いて、それを下書きで文字にしたりすることなく、さかさまにした。だから色々難しかったのかもしれない。


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