遅れてやってきた「保育園落ちた日本死ね」①

「保育園落ちた日本死ね」が日本社会が抱える問題をズバリ言い表し、大きな話題になったのは2016年。当時、結婚はしていたものの、子供を持つ予定がなかった私にとっては、時事ネタとして追う程度で、全く差し迫った問題ではなかった。「大変だなぁ」と思いつつも、「でも、まあ、保育園落ちても死ぬわけではないし、何とかなるでしょう」というぐらい、「他人ごと」であった。

しかし、妊娠した今、この「保育園落ちた日本死ね」の言葉の重さが2年以上の時を経て、自身にどしんとのしかかってきた。まだ、子供も生まれていないのに、まだ、保育園に落ちてもいないのに、すでに頭の中は、「保育園落ちた日本死ね」のどんよりモードになっている。

なるほど、これが「他人ごと」が「自分ごと」になる瞬間ですね!(・・・とか言っている場合ではない。)

きっかけは、産休に入ったことだった。消化していない有給などがかなりあり、通常より産休に入ることになった。特に深く考えることなく、とりあえず、産後1年間休むことを会社には申請した。そして、関係先に、産休の報告とご挨拶に行き始めたのだが、ここでやはり必ずと言っていいほど聞かれたのが、「復帰の時期はいつ頃?」だった。また、担当者が女性だったりすると、さらに、「保育園はどうするの?今度の4月から?」と聞かれた。

これが、「こんなに休むのなんて、学生の時以来!なにしようかな~」と浮かれていた頭に、「保育園」という今まで全く親近感のなかった言葉がずこんと投げ込まれた瞬間だった。

※遅れてやってきた「保育園落ちた日本死ね」②に続きます。(おそらく)

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