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未来に悲観的だった私に娘が教えてくれたこと

2016年11月、私はテレビ局のニュースルームにいた。アメリカ大統領選でのドナルド・トランプ氏の勝利を伝える速報原稿を送り出し、アドレナリンがまだ残る頭の中で、「トランプ大統領」というつい数時間前までは想像もしていなかった言葉をゆっくりと反芻していた。繰り返すごとにぼんやりとしていた言葉の輪郭がはっきりしていく。大学生活を過ごし、愛着のあったアメリカ。自由と寛容性がある国だと思っていたけれど、変わってしまったのだろうか。いや、そもそも私の洞察力が足りなかったのか。

「もう世界は終わってしまうのだな。」そう思いながら、失恋をしたような胸の痛みを感じつつ、ニュースルームを後にした。

あれから4年。育児支援センターでは、1歳になった娘がおもちゃのフライパンを小さな手でつかんで、上げたり下げたりしている。終わると思っていた世界は、娘の周りを今もくるくると回り続けている。世界は私が想像していた以上に寛容であったようで、あれから生み出されたたくさんの痛みや歪みを包み込んだ。いや、隠してしまった。私の心に芽生えた違和感さえも飲み込んでしまった。

プラスティックが何かにぶつかる乾いた高い音がした。見ると、ミニカーを握りしめた手を高く掲げて、仁王立ちする娘の横で、娘より少し小さい男の子が大きく目を見開いてミニカーを見上げている。おもちゃのフライパンは二人の間に息を潜めるようにして転がっている。

ああ、しまった。

「それはお友達のだから・・・」そう言いながらミニカーの方に急いで手を伸ばそうとした瞬間、ある考えが頭をよぎって私の動きを鈍くした。

・・・それで、いいのだろうか。私が今娘に教えるべきことはそれで正解なのだろうか。これからの世界を生きていく娘に、私が伝えるべきことはそれでいいのだろうか。この世界で必要とされるものはもう変わってしまったのではないだろうか。

譲る気持ちよりも、自分が望むものを主張すること。正直さよりも、自分を守るためにはどんな言葉が有利なのかを知ること。思いやりよりも、他人の痛みに鈍感になること。

もしかしたら、そういったことを私はもう教えていかなければいけないのではないか・・・

娘がぎこちなくお尻をついてから、ゆっくりと腕を下げた。男の子が差し出されたミニカーに小さな手を伸ばす。おぼつかない指先で男の子がミニカーを受け取った時、胸の奥でぎゅっと縮こまっていた何かがゆっくりと溶けていった。

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