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世界は自己の投影か

私を取り巻く日常やそれに付随する人間関係は広いものではないが、あらためて見まわしてみると、ちょっとずつ自分と似た部分を持っている人たちが多い。多いというか、ほぼそう。

物事が続かない、飽きっぽい、計算ができない、
興味のないことには見事に無関心、お調子者、
繊細、敏感、そのくせ鈍感、オモロイこと大好き、気分にムラあり、感覚で喋り動き、記憶する、母親に捨てられた経験あり、人からの評価を過剰に恐れる、が本当は自分を表現することが大好き、自分が大好き、などなど…

キリがないのでやめますが
自分の友人及び知り合いは上記のことがひとつ、もしくはふたつかみっつくらい同じ部分を持っている人たちで構成されている。

心理学的にもスピリチュアル的にも、そういう仕組みだと言われているようだが、自覚すればするほどそれは本当なのだと感じる。

しかも、この人のこういうところイヤなんだよな…と感じるところほど、それは自分が自分に許していない部分だったりして、蓋をしてしまいたくなるのだが、いやいや待て待ておのれこそがその姿ではないかと、深呼吸を2度3度繰り返したのちに仙人の如き面持ちで落ち着いて覗き込んでみると、もう降参し受け入れるしかないのである。
自分の長所を受け入れるよりも、それは納得感が深い。なぜなら自分にだけは嘘は通用しないからだ。

してみれば、世の中というのはうまくできている。自分探しなどと言って自己啓発のセミナーに出かけたり導いてくれそうな人の話を聞かなくても、身近な周りをみれば自分のことが実はかなりわかるのだ。

然るべき人のサポートを求めるのはそれからでもいい。



#自己認識 #自己投影 #心理学 #スピリチュアル

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