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「ダークサイド」と「後悔」について

昨日【note】で読み返した作品の中に、「闇」という言葉があった。

『noteを読み合う会』で出会った『わたしが山本文緒さんを読んでいたころ』という作品の中に、あった。

なにより、「私」の闇がわたしの中にもあることに気付く。怖い。

その作品では、山本文緒さんの著書『ブルーもしくはブルー』を読んだ時のエピソードの中で、「闇」という言葉が使われていた。

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作品から「抜き出された言葉」は、作品の意図、クリエイターさんの意図とは全くの「別の生物」になってしまうことがある。

だから、大して読み込んでもいないのに、人の作品から「言葉を抜き出す」ことは、あまりしたくない。

ただ、その作品の中にあった「闇」という言葉が、心から離れない。

青春の、淡く、甘く、優しいイメージが全体を包む作品の中にある「闇」という言葉だからかもしれない。その作品が、山本文緒さんの訃報から始まる話だからかもしれない。

そこで、今日は、「闇」にまつわることを、自分勝手に考えてみることにした。

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ダークサイド。心の弱さから出る、怒り、恐怖、欲望などの負の感情。

ダークサイドを知るヒーロー、ダークサイドなヒーロー・脇役、などなど、「闇」のあるものに、興味がわく。共感する時もあれば、全く共感しない場合もある。ただ、必ず、反応する。印象に残る。

ダースベイダー。
ジョーカー。ヒース・レジャー。『ダークナイト』
太宰治。『人間失格』。
ヘルマンヘッセ。飼いうさぎ。
キチジロー。『沈黙』の「黄色い歯」のキチジロー。
ヨム・ビョンス。『奇皇后』の「時代」の悪役。
マイキー(佐野万次郎)。
『呪術廻戦』のみなさん。
安倍晴明。

ダークサイドを語り出すと、どんどん、どんどん、広がってしまう。

ダークサイドがない人間、っているのだろうか?
負の感情を知ること、弱さ、悩み、不自由を研究することで、正の感情、強さ、明るさ、自由について考えることができる。


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ダークサイドはいろいろな形で存在するけれども、今日は、私の心打たれたダークサイドは、トビー・マグワイアが演じた『スパイダーマン』について書いてみる。

他の俳優が演じるスパイダーマンは知らないので、私の中では、スパイダーマンと言えば、トビー・マグワイアだが、哀愁あるスパイダーマンに、何度も何度も涙した。

主人公は、ピーター・パーカー。
ごく普通の、どちらかと言えば、冴えない高校生。
多くの人が「それは、そうするよ」というであろう、割とよくある「わざとした」意地悪な選択が、叔父さんの死につながり、それがきっかけで、スパイダーマンになる。

ピーターは、スパイダーマンになった後も、自分がしてしまった選択に、悩まされる。

本当は、この『「わざとした」意地悪な選択』について語りたいのだけれど、実際に説明を書いてみたのだけれど、すご〜く長くなってしまったので、ここで語るのはやめておきます。

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映画のラストシーン。
スパイダーマンの自分と一緒にいると、メリージェーンを危険に晒すことになってしまうから、本当は両想いの、大好きなメリージェーンに、『「友達として」ずっと一緒にいるよ。』と言って、メリージェーンから立ち去るピーター・パーカー。

そして、このセリフ。

Whatever life holds in store for me, I will never forget these words:

"With great power comes great responsibility."

This is my gift, my curse.
Who am I? I'm Spider-man.

ピーター・パーカー!(涙)

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最後の最後まで、自分の中の「ダークサイド」のせいで叔父さんが死んでしまったことを後悔し、叔父さんが生前、ピーターに言った"With great power comes great responsibility."に縛られ、「自分の幸せより、世の中のために生きる選択」をする。

ピーター・パーカーの場合、自分のせいで死んでしまった叔父さんの「呪いの言葉」を胸に、持てる者の「責任感」で、人々を助ける。

ただ、ピーターの正義は「自分の幸せの犠牲」の上に成り立っている。

真似しても、長続きしそうにない。

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虎杖悠仁も、おじいさんの「面倒くせぇ遺言」を胸に、人を助ける。

オマエは 強いから 人を助けろ
オマエは 大勢に 囲まれて 死ね

『呪術廻戦 1』第3話

虎杖悠仁は、自分にしかできない「宿儺すくなを喰う」ということで「たくさんの人を救う」、という正義を放棄して後悔したくないから、呪術師になる。

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スパイダーマンのピーター・パーカーは、「僕には関係ない」といって、強盗を止めることができたのに、止めなかったことが、叔父さんの死につながる。自分が「自分には関係ない」と、わざと「正しいことをしなかった」選択に後悔する。

虎杖悠仁は、宿儺すくなの呪いで多くの人が死んでいるのに、「俺には関係ねぇ。」と言って何もしないでいたら、後悔するだろうから、人を助けるという「自分が正しい」と思う選択をする。

自分の正しいと思うことで、後悔をしない。

生きてく上で、大切なことの一つなのだろう。

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