食べ残しがマナー違反?むしろ学校給食の悪習から来る、提供側の配慮不足では?
この前タイムラインに流れてきたツイートで、「食事のマナーはいろいろあれど、出されたものを残さないことが一番のマナー」という趣旨のものを見かけまして。
(知り合いでも有名人でもないからリンクは貼らない)
この「出されたものを残さない=えらい」って、ひどい勘違いだと思うのですよ。
そもそも、望んでないもの出すなよ!!!
テーブルマナーを意識するような高級レストランだったら、「お苦手な食材はございませんか?」って先に聞かれるでしょう?
これが本来あるべき姿なのでは?
もちろん、安い飲食店にそこまでは求めないけど、メニューに写真があったり、中身を明記しておいてくれれば、苦手なものは注文時に抜いてもらうようにお願いするし。
寿司のさび抜き、タイ料理のパクチー抜きと同じこと。
もしくは、ラーメン屋の一蘭みたいに、「ネギ:なし・普通・大盛」を客が選べるスタイルにするのもいい。
提供側がこういった配慮をしてくれているにも関わらず、苦手食材を理由に食べ残すのがマナー違反というなら分かるけど、なんの配慮もしないでおいて文句言うなよと。
牛丼にタマネギとか、ハンバーガーにピクルスとか、ある程度の共通認識があるものは抜いてもらうようにお願いするけど、たまに「なんでキノコ入れる!?!?」という事故は起きるのよ、ほんとw
個別対応には手間やコストがかかるのは分かる。だからやらないというなら構わないけど、なら食べ残しに文句を言わないでいただきたい。
えぇ、偏食家ですよ僕は!(開き直り)
まぁ、食べ残しをマナー違反とする理由も理解はできる。ざっとこんなところかな?
世界には飢餓に苦しむ人もいるのに、自分は食べられることへの感謝
調理者・生産者その他関係者への感謝
フードロス削減
好き嫌いは悪
わがまま
まずは感謝関係。
いや、嫌いなものを食べ残したって、それ以外の部分で感謝はしてるさ。
食事に限らず、なにか嬉しいありがたい出来事があれば、相手やそれをもたらしてくれた全てのことにも感謝するけど、だからといって嫌いな人や出来事にまでは感謝しないでしょう?
バタフライ・エフェクトで…とか言い始めたらキリがないけど、だったらここで食べ残されたことにもきっと意味があるから、むしろ感謝してください()
というか、それ以前に完食することが感謝の印って、どゆこと??
別に残すのが正しいマナーの国があるとか、そういうことではなくて。
完食することは「おいしかったです」の証にはなるけど、感謝は「ごちそうさまでした」の言葉の方じゃないの、と。
逆に、たとえばキノコ嫌いの僕が、料理に紛れていたシイタケだけ見事に避けて皿の片隅に残していたとして、それを見た料理人は「感謝されてない!」って感じる??
シイタケだけが残ってたのなら、「料理が口に合わなかったか…」とすら思わないのでは?単に「ああ、シイタケ苦手だったんだ」でおしまい。
実は手が込んでるとか貴重なシイタケで、それが受け入れられなかったことにショックを受けることはあるかもしれない。
だけど、それって料理に限らず、人生そういうミスマッチはあるじゃん?(は?)
少なくとも、食べる側のマナー違反にするような問題ではないと思う。
続いて、フードロス。
これはとても単純。食べ残さずとも、調理しちゃった時点でロス。
まぁ、定義上は「まだ食べられるのに捨てられる食品」だから、食べたならフードロスは発生してないことになるんだけど、その食品が消費された事実は変わらないわけで。
食べ残してゴミになると、ゴミ回収や処理といったムダなエネルギーを消費させることにもつながるから、フードロスは削減するに越したことはない。
だからといって、苦手なものを無理に食べたところでネガティブな感情しか生まれないし、最悪のケースではもっと厄介な形態のゴミに姿を変えるリスクすらある。
実質的な意味で、好き嫌いによるフードロスを減らしたければ、調理前の段階で苦手な食材を抜くしかないでしょう。
そして、好き嫌い問題。
好き嫌いはない方がベター。それは認める。
なければこの呪いに囚われることもないし、サバイバル上も有利だし。
だけど、好き嫌いは悪というのはおかしい。ヒト・モノ・コト、これほど好き嫌いであふれ返っている世界において、食べ物だけがどうして例外なのか。
「(食べ物の)好き嫌いはダメ」という人には、なぜ食べ物以外の好き嫌いをするのか問い詰めたい。
極端な話、不快害虫にだって存在価値はあるのだから、その存在を好き嫌いしちゃダメなのでは?とw
最後はわがままとの関係。
これが呪いの最終関門だよねぇ…。
食事を選ぶ自由がある大人にとっては、好き嫌い=わがままという見方はされなくなるけど、子供の頃には「食育」とかいって関連付けられている気がする。
僕は子育てしたことないから分からないけど、たしかに子供が「すべてが自分の思い通りになる」という感覚を持つのはよろしくないと思う。しつけというやつ?
でも、しつけにしろわがままにしろ、それは自己中心的であることが他人に迷惑をかけることにつながるからダメ、ってことだと思うんだよね。
ミクロに見たら、食べ残しで他人に迷惑がかかるかというと、多少ゴミが増える程度。
マクロに見ると、食事の選り好み、ひいては「嫌いなモノ・コトを避ける」という思考を助長する気はして、まぁ他人に迷惑っちゃ迷惑…?
食べ物に限らず、体験も含めた広義の「食わず嫌い」は損することも多いし、ある程度のガマンや忍耐はできた方がいい…のかも?
最初は苦手意識を持っていても、少しやってみたら面白みが見えてきて、そこからハマったりすること、あるもんねぇ。
嫌いだと思ってた食べ物も、なんかの拍子に食べられるようになることもあるわけで。
…まずい。
僕はここから徹底的に学校給食をdisるつもりだったんだけど、食育に一定の効果を認めてしまったじゃないか。
いやいや、そんなことないか。
給食の味で「食べてみたらおいしかった」なんてことはあり得ない。
むしろ、「給食だとあんな不味かったのに、本当はおいしいんじゃん」と後から知るパターンの方が多い。
やはり給食は悪!!!
というわけで、敢えて触れてこなかったけど、老男若女ほとんどの日本人は学校給食を経験していて、あれこそが「食べ残してはならない」という呪いの原点であり、共通認識だと思うんだよね。
僕の小学生時代、給食にまつわる嫌な思い出しか出てこないほどにトラウマ化してましてw
ウチの学校のスタイルは、各教室に大きな容器で全員分の食事が運ばれてきて、生徒が各自の皿を持って列を作り、そこに給食係が盛っていくやつ。
ここで「ニンジン、いらないよ」が通用すれば、もっと楽しい思い出をたくさん覚えていたことでしょう…。
が、現実にはそんなことは許されず、嫌いなものもしっかり盛られ、友達に食べてもらうことも許されず、完食を強制される。昼休み、時には放課後までの持久戦になることも。
「ちょっと頑張って食べれば済むことじゃん」と言われればそれまでだけど、「残したっていいじゃん」だし、そもそも「盛らなくてもいいじゃん」なわけで。
むしろ「たかっかツラそうだから、みんなで助けてあげよう!」に持ち込むのが教育なのでは?さらし者にするのはイジメの助長でしかない。
僕の皿に盛らないでおけば、その料理が嫌いじゃない完食至上主義者の誰かが食べて解決なわけよ。クラスに40人いるんだから、誰か食べるでしょ。
なのに、それをわざわざ盛るから悲劇が起こる。どうせ食べないのに。
この考え方、そんなにダメなのかな??
実はこのセリフ、30数年前の僕が実際に発した言葉でして。
ある程度、食べ残しを許容してくれていた先生も「どうせ食べない」発言は許せなかったらしく、居残り持久戦になったなぁ…あの先生ってことは、小2ぐらいの時か?
最後まで食べず、残したままの皿を自分で給食室に持って行って、中の人に謝らされたことまで思い出しちゃったじゃんよ…あちらは「気にしないでいいよ」的な対応だった気がするけど。
小2の思い出なんて、これぐらいしか出てこないわw
(※ファミコン版「信長の野望 武将風雲録」にハマってた頃)
もっとも、僕がこれを経験したのは90年代の話。
念のためWikipediaのぞいてみたら、多少状況は変わってきてるみたいだから、そういう時代は終わったのかもしれない。
でも、アラフォー以上の世代はこれを経験してきたはず。
たとえ子供の頃は給食をおいしく食べてたという人だって、「給食のスパゲティがいちばん美味しかった」なんて人はいないでしょう?
給食を作る側も、限られた予算と栄養バランスの制約の中で工夫を凝らしてくれてるとは思うけど、極限まで良く言っても「良薬口に苦し」。できたてでもないし。
そんなわけで、学校給食に出てきたメニューにはいい思い出がないから、その後の人生でもその料理を積極的に食べることもなく、なんなら偏食が助長された説まである。
それこそ、安物のウニしか知らずに「にがっ!これの何がいいの?」と言ってた人が、函館でただただ甘いウニを体験して「なにこれおいしい!!!」となるアレ。
このウニ事案は僕なんだけど、いつしか食わず嫌いを脱して得体の知れないドロドロを口にして、それがマズい安物でもう二度と食べないと思っても、再び函館でトライしたわけですよ。
わざわざ不味い給食で強制しなくたって、美味しいものに触れていく中で好き嫌いは減っていく。野菜もずいぶん食べられるようになったし。
だから、嫌いなものを食べない自由はあっていいと思うし、そのためには中身を認識できるようにしておくことが、出す側・食べる側にとってWin-Winだと思うわけです。
多様性だなんだという時代な割には、好き嫌いがあることは未だにネガティブな見方をされ。
何が入ってるのかメニューから判断できれば、出す側・食べる側ともにダメージを受けずに済むのに、なぜか食べ残す側が一方的に悪いことになっている。
長い年月をかけて醸成されてきたイメージをひっくり返そうとは思ってないけど、俯瞰して見てみると、なんかおかしいって思いません??
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