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ほとんど勉強しない後輩が職場にいる。その後輩は、僕が母校で教育実習をした時、生徒だった。僕はその時、英語の授業をしたのだけど、後輩は、僕が教えたことを、何一つ覚えていなかった。

彼はおそらく座学が苦手だった。椅子に座って、先生の話を聞き、教科書を読み、ノートを取り、それを自分の中で解釈し、記憶することが苦手なのだ。成績も良くなかったはずである。

しかし、彼は仕事が出来る。事務作業は苦手だけど、それ以外の仕事は、かなりやる。

上司が出す指示の意図を解釈し、求められている答えをすぐに導き出す。その点では、僕なんかより、はるかに優秀な職員だと思う。

話を聞くと、前職で、営業の仕事をしていたそうだ。その時は、会社でトップの営業成績だったらしい。しかし、彼が職場でそれを言うと、何人かがそれを疑った。

しかし、僕は「そうだろうなあ」とえらく合点がいった。

「勉強が苦手なことは、将来の仕事と関係がない」

僕が言いたいのは、そういう話ではない。

彼は、人をよく見ている。表情や声の調子、目の動き、髪型や服装など、普段との違いを敏感に感じ取り、何故、普段と違うのかを考察している。

例えば、誰かに「昨日、何かあった?」と彼は尋ねる。彼の中では、その時にはすでに、昨日その人に起こったことが見えている。

例えば、僕らが知らないところで、その人が誰かと揉めたとか。

もちろん、想像に過ぎないのだけど、後で、その当人に確認すると、大体、彼の想像どおりのことが起こっていたりする。

「何故、そんなにも分かるのか」と僕が尋ねると、「声の調子がいつもと違っていた」とか、「いつもより顔がこわばっていた」とか、ちゃんとした彼なりの証拠と理由があった。

それで、僕は、それが彼の特別な能力であると認識した。そして、その能力は、おそらく勉強が苦手なことと繋がっているのだと感じた。

つまり、勉強が苦手なことで、本や教科書に頼らないようになった彼は、情報を自分の視覚や聴覚に偏重して捉えているのだ。

ところで、

人が人である限り、誰かに褒めれることは、その人のモチベーションにつながる。カーネギー的なやつである。

しかし、ちゃんと褒められないと、モチベーションにはつながらない。頓珍漢なことで褒められても、ちっとも嬉しくないからだ。

例えば、プレゼンのために「デザイン」を工夫して作った資料を提出した時、それを見て「ホッチキスの止め方が上手だね」と言われるようなものだ。

「人のことをちゃんと見る」

これは大切なことだ。彼を見ると、「人のことをちゃんと見る」ために、本や教科書を読まないのかもしれないとさえ思う。

僕もそれを見習うべきかもしれない。

しかし、それは間違いで、僕には僕に合ったやり方があるはずだ。それぞれのやり方で、みんなよくやっているなあ。




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