マスクをつけ、ずっと歩道を歩いている。
田舎町の歩道は突然途切れるらしい。
財政難のため、歩道の続きを作るためのお金がないからだ。
僕は途切れるまでこの歩道を歩こうと心に決め歩き始めた。しかし、しばらく歩いても歩道は一向に無くならない。
この歩道はどこまで続いているのだろうか。この町の財政はよほど潤っているのだろう。人の気配がほとんどないのに、歩道が無くなる気配が全くないない。Twitterに投稿すれば、無断な公共事業案件として、誰かがまとめてくれるかもしれない。
前方に公園が見えてきた。
公園の周りには歩道に沿って桜の木が植えられていた。桜は散ってしまっていて、枝には新芽が生えてきていた。公園には3人の老人がいた。80過ぎくらいの爺さんが2人と70過ぎくらいの婆さんが1人、険しい顔で話をしていた。
爺さんA「マネーロンダリングの意味がよく分かってないんだがね」
爺さんB「それは、お前が死んだ婆さんの年金を不正受給してよ。その金を一旦孫にプレゼントして、お前のセガレである孫の父親からその分の金をもらうということよ」
婆さん「おまえ、婆さん死んだこと隠してるんか?」
爺さんA「婆さんは死んでない。ふざけるんじゃないよ」
田舎の老人はヤバイと聞くが、その噂は本当だった。急ぎ足で公園から離れようとしたその時、老人たちが僕に話しかけてきた。
婆さん「おい、おまえ。見ない顔だな。街から来たのか?」
僕は無視して歩みを進めたが、この歩道の先に進んだところで、おそらくこれと同じくらいか、それ以上にヤバイことが待っているような予感がした。僕は来た道を戻るべく踵を返し、再び公園の横を通り過ぎようと歩みを早めた。
爺さんA「この道はどこまでも続くぞ」
爺さんB「この道がおまえの思っている場所に通じると思うなよ」
婆さん「おまえ、私の質問に答えないのか?」
老人たちが近づいて来たらマジでヤバイので、僕は走ることにした。昔、怖い話の本を読んだ時、高速道路に出る老婆のお化けのことを思い出した。
時速100キロで車を運転しているにもかかわらず、追いかけて来て、バックミラーに写り込み続ける老婆のお化け。
婆さん「おい、おまえ。耳が聞こえないのか?鼓膜は義体化できるのに、何故しない?」
爺さんA「宗教的な理由があるのかもしらん」
爺さんB「我々と同じかもしれんな」
僕は歩道を走っている。来た道を戻っているが、僕はどれだけ長い時間歩き続けていたのか、景色はまったく変わらないし、僕がどこから来たのかも思い出せない。
僕は何のために、マスクをつけ、歩道を歩いていたのか。急に息苦しさを感じた。マスクのせいだ。
婆さん「マスクは新型ウイルスから身を守るためにつけている!外すんじゃないぞ!」
爺さんA「我々はどこから来たのか。我々は何者か。我々はどこへ行くのか」
爺さんB「答えは、生と死だ」
僕は走りながらマスクを外した。息が上がってきている。思いっきり息を吸い、肺に空気を入れた。酸欠になっていて、思考が止まりかけていたのかもしれないな、と思ったが、息を吸い込んだところで、何も思い出せなかった。
なぜ、僕はここで走っているのか。
婆さん「ゴーギャンだよ!絵だ!お前の人生は絵だ。完成まで描き続けることが出来なければ、それはゴミと一緒に捨てられてしまう!」
爺さんA「それでもいいじゃないか。人生はゴミだ。我々はゴミに過ぎない。神様なんていない。地球でゴミが生きている、それだけだ!」
爺さんB「おまえはどう思う?」
僕はどう思っているのか。何を?
とにかく、走って、元の場所に戻らなければならない。なぜ?
なぜ、僕は元の場所に戻らなければならないのか。
今、マスクを外すと僕の体内にウイルスが入ってくるのか?そもそもマスクに予防の効果はあるのか?
婆さん「そんなものは自分で調べろ!思考停止するな!考えろ!正しい情報を得るための努力をしろ!おまえ!」
爺さんA「マネーロンダリングをしてくれませんか?」
爺さんB「ゴッホの絵を一度、美術館で見たことがある!おまえはあるか?」
僕はある。ゴッホの『ひまわり』が大きな美術館にやってきたのだ。僕はそれを観に行った。それは何とも言えない絵だった。色や形がめちゃくちゃなのに、心に迫ってくるものがあった。生で観れた感動も合わさって、僕は泣いてしまった。
もうすぐひまわりが咲くかもしれない。しかし、その花はどこで、どのように咲くのだろうか。僕は本物のひまわりを見たことがあるのだろうか。
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