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太宰治の代表作は『走れメロス』で統一しましょう。(後編)

太宰の魅力について語るのに、適切なツイートを発見しました。

お笑いコンビのピースの又吉直樹さんが太宰好きだという話は、又吉さんファンの中では有名な話だと思います。ちなみに僕は又吉さんも太宰さんも大好きです。

さておき、太宰が自殺未遂と心中未遂を何回もする壮絶な人生を送った理由は、太宰本人にしかわかりません。しかし、太宰は、自殺未遂と心中未遂のことを小説の中で書いていることは、紛れもない事実です。

太宰が小説のネタとして、自殺未遂と心中未遂をしたとは言い切れません。しかし、又吉さんが指摘したお笑い芸人との共通点は、少なからずあると、僕は思います。

すべては太宰の目指す芸術のため

太宰は小説や随筆の中で芸術のことを語っています。本来は、論文のように、本文をここに引用し、紹介しつつ解釈を加えるべきかもしれませんが、ここでは解釈のみ書いていきます。

太宰が語る芸術についての僕の解釈は「軽く明るく楽しくなる読みもの」です。これは、多くの人が持っている太宰のイメージとは正反対のものかもしれません。

『畜犬談』『メリイクリスマス』『新樹の言葉』『富獄百景』などを読んでみてほしいです。

正直、僕はめちゃくちゃ本を読んでいるわけではありませんが、太宰の小説はほとんど読みました。その理由は、おもしろかったからです。

大学生になるまで、本を1冊もまともに読了したことがなかった僕は、太宰の小説を読んで「小説ってこんなこと書くんだ」と驚きました。

「私は、犬については自信がある。いつの日か、かならず喰くいつかれるであろうという自信である。私は、きっと噛かまれるにちがいない。自信があるのである。よくぞ、きょうまで喰いつかれもせず無事に過してきたものだと不思議な気さえしているのである。」(太宰治『畜犬談』より)

「「トカナントカイッチャテネ、ソレデスカラネエ、ポオットシチャテネエ、リンゴ可愛イヤ、気持ガワカルトヤッチャテネエ、ワハハハ、アイツ頭ガイイカラネエ、東京駅ハオレノ家ダト言ッチャテネエ、マイッチャテネエ、オレノ妾宅しょうたくハ丸ビルダト言ッタラ、コンドハ向ウガマイッチャテネエ、……」という工合ぐあいの何一つ面白くも、可笑おかしくもない冗談がいつまでも、ペラペラと続き、私は日本の酔客のユウモア感覚の欠如に、いまさらながらうんざりして、どんなにその紳士と主人が笑い合っても、こちらは、にこりともせず酒を飲み、屋台の傍をとおる師走ちかい人の流れを、ぼんやり見ているばかりなのである。」(太宰治『メリイクリスマス』より)

「「だけど、いいねえ。乳兄弟って、いいものだねえ。血のつながりというものは、少し濃すぎて、べとついて、かなわないところがあるけれど、乳兄弟ってのは、乳のつながりだ。爽やかでいいね。ああ、きょうはよかった。」そんなこと言って、なんとかして当面の切せつなさから逃れたいと努めてみるのだが、なにせ、どうも、乳母のつるが、毎日せっせと針仕事していた、その同じ箇所にあぐらかいて坐って、酒をのんでいるのでは、うまく酔えよう道理が無かった。ふと見ると、すぐ傍に、脊中を丸くして縫いものしているつるが、ちゃんと坐って居るようで、とても、のんびり落ちついて、幸吉と語れなかった。ひとりで、がぶがぶ酒のんで、そのうちに、幸吉を相手にして、矢鱈やたらに難題を吹っかけた。弱い者いじめを、はじめたのである。」(太宰治『新樹の言葉』より)

「東京の、アパートの窓から見る富士は、くるしい。冬には、はつきり、よく見える。小さい、真白い三角が、地平線にちよこんと出てゐて、それが富士だ。なんのことはない、クリスマスの飾り菓子である。しかも左のはうに、肩が傾いて心細く、船尾のはうからだんだん沈没しかけてゆく軍艦の姿に似てゐる。」(太宰治『富獄百景』より)

すべて青空文庫にあります。ぜひ、読んでみてほしいです。太宰については、また書きたいと思います。ここまで読んでいただいてありがとうございました。太宰を読んでみてください。

最後に『走れメロス』について。これ、友情とか感動とかの文脈は勿論ですが、笑っていい小説ですよね。むしろ、笑わせにきてると僕は思ってます。友情とイロニーに満ちた喜劇です。太宰大好き!



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