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依頼は自分を読み解く鍵

自分の元に舞い込んできた依頼は、クライアントが選んでいるように見えて実は自分が決めているのではないか? というお話。 

もう4年ほど携わっているソーシャルゲームがあります。キャラの数は多く、依頼されるのは大抵彼らのキャラエピソードシナリオ。FGOで言うところの幕間の物語のようなものです。どのキャラを私に依頼するか、その基準はクライアントさんにしかわかりません。おそらくはスケジュール、加えてたとえば過去そのキャラに深く関係する他キャラをやっているなど、明らかな関連性があれば優先的に回すでしょう。(もしかすると私の知らないところで、私の得手不得手を考えてくれている可能性もありますが、まあそれはさておき)

が、往々にして依頼は、キャラの性格……特にネガティブな問題点が、私自身と合致します。たとえば劣等感。たとえばコミュ障気味。たとえば上から目線……エトセトラ。どれもこれも、自分の中にある(もちろん無ければ書けないけれど)、しかも『その時』自分が強く気にしている部分ばかりをタイムリーに突いてきます。

あいたたた、と思いつつプロットを練る。そしてシナリオを組み立てていく。キャラの感情をたどって言葉を選ぶ。やがて仕上がる頃には、おそらく自分の中で、何かが浄化される。

やってきた依頼は『そこに光を当てなさい』という意味だと感じています。自分の性格的な課題、思い癖は気づかなければ直せません。いや、別に直せなくてもいい。気づいて――光さえあててしまえばこっちのもの。どんなネガティブも、自分に近しいものになる。見たくもない汚物ではなく『知っている』ものになります。

だからきっと、依頼しているのはクライアントだけどクライアントじゃない。私が私に、ここを見なさいよ、って言っている。フリーランスのライターにとって仕事の依頼というのはもちろん生活の糧だけれど、自分を読み解く鍵であり、自分の中を探るための地図でもある。少なくとも私は、そう感じています。




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