ゆたかさって何だろう
どっかの国ではご飯がろくに食べられないとか、どっかの国では水を毎日汲みに行くとか、きれいな水を飲めないとか。
そういうのを知らされると、自分ってゆたかだなとか恵まれているなとか、色々考えさせられる。
でも、これまで31年生きてきて、ゆたかな時もあればそうじゃない時もあった。
いわゆるモラトリアムな世代の時は、色々絶望してた。人生やめちゃいたいとか地球なくなれよとか今思い返しても思考がやばい。
大学の同期とかを見るとまじで自分だけ恵まれてないって思ったし、こんなに悩んでいるのは俺だけだって信じてた。一言で言えば超がつくほど病んでた。
でも、今はゆたかだと感じる。
もちろんお金の心配もそこまでないし、ほしい物は手に入るし、家族もいるし、仲間もいるし、好きなことを仕事にしているし、自由なライフスタイルも手に入った。
だからゆたかなのかって言われると、そうかもしれない。
でも、一番は自分に対する気持ち。自分が好きって気持ち。これがある時はゆたかな気持ちになれるけど、なかった時は悲惨だった。
自分が好きな人はゆたか、な気がする
「自分が嫌い」だった時はゆたかさなんてこれっぽっちも感じなかった。
お金があっても、彼女がいても、友達と楽しく飲んでいても、時間がたっぷりあっても、大好きなゲームを1日中やっても、最後眠る時にはゆたかさを感じられない。
虚しさ、寂しさ、悲しさ、虚無感、絶望感、喪失感。そういう負の感情が脳内を漂い始めてしまう。
自分が嫌い、自分に自信がない、どうせ自分なんて、みんな自分のことが嫌いなんだ、自分は価値がない、自分は生きる意味がない、自分は落ちこぼれ、自分はバカ・・・
そういう言葉を並べる非常にやばい奴だった。
でも、ずっとそうだったわけじゃない。それよりもっと前はゆたかさを感じていたこともあった。
初めてゆたかさを感じたのは中学時代
「いい1日だった」と初めて思ったのは中学生。正確には中3。高校受験を控えた秋頃。
どんなことでゆたかさを感じたのかというと、図書館で1日過ごした日のことだ。
生まれて初めて図書館の開館時間よりも前に着き、ドアの前に並んでいるおじさんたちの列の最後尾に並び、18時の閉館まで勉強した。
昼食用にお弁当を持参して、お昼は休憩コーナーで大人に混じって食べた。すごく大人になった気分でゆたかだった。
18時に図書館を出て自転車で帰っている時、「勉強した〜」という気分だった。ゆたかだった。この時のことを16年経った今でも鮮明に覚えてる。
これが人生初のゆたかさだった。このゆたかさを覚えてから、何度も図書館に通い、高校時代もテスト期間中は毎日だった。
勉強している自分は偉くて好きだった。親にも先生にも褒められる。成績も上がるからまた褒められる。だからゆたかだった。生きてる心地がしてた。
でも、大学以降はどんどん勉強しなくなる
大学は強制力がほぼない。高校までは学校を休めば先生に色々言われるし、無断欠席なんてすればすぐに連絡が来て親にバレるから絶対できない。
でも、大学はなんにもない。
休もうがサボろうが大学はなんにも連絡なんてない。自由。
その結果、僕は授業をサボるようになるし、遅刻もするようになる。当然ダラダラするようになる。
楽してお金を稼げてしまった経験から、パチンコ・パチスロにもハマった。
気付けばダメな自分が出来上がってしまっていた。
でも、ダメな自分を見せてしまったら親はネチネチあーだこーだ言ってくるから、ダメな自分を絶対に見せてはいけない。
優等生な自分を演じる。そして偽る自分を嫌いになる。そんな偽りのダメな自分を嫌いになる。
誘惑に負ける自分も、ダラダラする自分も、朝起きれない自分も、イヤなことから逃げる自分も、言い訳する自分も、我慢できない自分も嫌いだった。
大学卒業後も同じだった。自分のことが嫌いだったからいつだって心に余裕がない。いつも心が疲弊してた。
企業に入社してからだって、「自分には価値がない」とずっと感じていた。
飛び込み営業とかいう心が壊れる営業スタイルに適応できなかった。そして周りが成約を取ってくる中、ろくに飛び込むことすらできなかった。
ますます自分が嫌いになり、ゆたかさとはほど遠い状態だった。
自分を好きになるってどういうこと?
ありのままを愛するとか、ありのままでいいとかそういうのもあるかもしれない。
でも、僕の場合は自分を好きだと思ったことは一度もなかった。どちらかといえば、親に好きになってもらうために必死だった。
親のために人生を生きてきて、親の望み通りに生きなきゃって必死だった。でも、楽な方へと逃げる自分もいた。
その葛藤が大きかったんだと思う。「あるべき姿」と「現実の姿」のギャップから自分を嫌いになっていったのだ。
大学に1限から行って夕方まで勉強して夜はバイトする。就職も大手企業に入社する。それがあるべき姿だった。
でも現実は「昼頃起きて、学校行かずにパチンコ行って、夜はできるだけ楽なバイトをして、朝方までゲーム」。
そのギャップを隠すのに必死だった。そして現実の自分を受け入れることができていなかった。だから自分が嫌いだった。
自分の人生を歩み始めたらゆたかになった
でも、親の人生を生きることをやめたら、すべてが自分のものになった。
自分のやりたいことを自由に選ぶことができた。
やりたいと思ったことを仕事にするために必死にもがいてきたし、手に入れたいと思ったライフスタイルを手に入れるために頑張ってきた。
それが楽しかった。自分のために頑張ってる自分が好きだった。
だからお金がなくても、吉野家しか食べられなくても、新しい洋服を買えなくても、ゆたかだった。毎日が輝いてて毎日が楽しかった。
ゆたかさには、物やお金も大事。でも、ゆたかさを最初に作るのは自分に対する気持ちなんだと思う。
自分が好き、自分の好きなことをやっている、そういうのがこれからのゆたかさなんだと思う。
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