林檎を食べるあの子

気分によっては構われたがりではないし、普段だったら見慣れつつある黒髪を見かけても、アンテナを張りつつそっとしておくのが常だった。けれど、胃の奥から急き立てられるように出てしまった小さな音を華恋の耳は聞き逃さなかったし、ちゃんと鼓膜から脳へと届いた。
「ひかり、ちゃん?」
そろそろと静かに名前を呼ばれたひかりは、正面に向けていた顔を華恋に向けて、少しだけバツの悪そうな顔をする。お出掛け用の白に青いアクセントが利いた長袖ワンピース姿のまま、ひかりはリビングのテーブルを前にして所在なくソファーに座っていた。よく見ると唇がてらてらとしている。何を食べていたのか気になって、甘い香りに誘われるように近付いて見てみると、テーブルの上に乗っている白い小さなお皿から、大きくはみ出るように存在を主張する林檎が、齧りかけで、しかも半分以上は残っていた。
「あー林檎か~」
「そう、林檎」
難しそうな表情でひかりは頷く。目を伏せて何か悲観的に考えていそうだけど、最近はそう考えていない時が多いことを華恋は知っている。今考えていることは満腹な事と、目の前の林檎をどう処理しようかと考えているのだろう。
「お腹いっぱいになっちゃった?」
「……頑張って食べようとしたけど、ちょっと無理だった。日本で一番サイズが大きい林檎だって」
「はは~ん、なるほどね~。おいしかった?」
「それはもちろん。硬めの歯応えで、甘くて、ジューシーだったわ」
うんうんと腕を組んでひかりは満足そうに頷く。道理で唇が濡れて光っているわけだと華恋は納得する。まだ酸化していない白い果肉と、やけに比率の高い赤の面積が目に飛び込む。確かに最近林檎を食べていることは知っていたけど、こんな大きな林檎を買ってくるなんて流石に無謀だ。小食なんだから食の分配には気を付けるようにと、食事当番を担当することが多い二人によく注意されているのに、気にせずちょくちょくマイトレンドの林檎に手を出すひかりは、マイペースな彼女らしいといえばらしい。それに半分は買ってきた林檎を食べきれなくて、お叱りを受ける姿も寮の風物詩になりつつあった。おやつがバナナを使ったものではなくて林檎が多くなっているのもこれが一因だ。
「おいしかったのはいいけど、買い食い禁止令また出されちゃうねえ」
「……困る」
「困っちゃうねえ」
「どうしよう、華恋」
禁止令を出されるのを回避したいのか、日焼けを知らない白い右手を顎に当てて考えている。困り果てた表情は自業自得ではあるのだけど、困っている目の前の幼馴染を見捨てる鬼にはなれなかった。毎回はできない。でも小腹がすいている今は、助けの手を出すことはできる。華恋は笑みを深くする。
「しょうがないなあ、この愛城華恋がひかりちゃんのお残しを全部食べてあげる」
「……ごめん」

ノンノンだよひかりちゃん、こういう時は違う台詞を要求します!

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