ウンチ(運動音痴)のかたまり

 本にも書いたと思いますが、小さい頃は体が極端に弱く、朝縁側に座らせると、一日中そこにじっと座っているような元気のない子供でした。普通の子なら一時もじっとしていないで、動き回っている時期です。今考えると、その動きこそ脳と体を結びつけるための準備期間であり、体を脳がコントロールできるようになっていくのための訓練期間だろうと思います。しかし私はその期間じっと座ったままなので、脳の指令を体が表現できようにならないままで、幼児期を過ごしました。だから要求される動きは分かっても、体は動いてくれません。また当然のように体も小さく、小・中学校時代はクラスの身長順の整列では常に前からベストスリーでした。皆からウンチの塊(運動音痴)と呼ばれていたのは小学生の低学年でした。そこを抜け出し始めたのは高学年になってからです。食糧事情がよくなり、栄養がとれるようになって、元気になったのです。しかし、体は動いてくれません。だから、図書館で本を読み始めたりもしましたが、運動面でも変化がありました。きっかけは跳び箱でした。当然最初は跳び越えられません。そこで、上手に跳び越えるクラスメートの動作を観察し始めました。ほかにも跳べない生徒もいましたので、その違いを見ていたら手首の使い方だと気がつきました。それを自分で意識し始めると2回目くらいには跳ぶことができたのです。それ以来、新しい動きをするときは上手な人の動きを見るようになりました。そして、その動きを覚えるようにしました。極端なことを言えば、すべての動きを覚え、ここではこの筋肉をこう動かすと筋肉のプログラミングをすればいいということです。ですから誰かが新しい動き(ダンス等)をして、その通り動いて下さいと言われると、一番もたもたするのは私であることは今でも変わりません。何回かやってもらって、その動きを覚え筋肉プログラミングをしてからでないと動けません。多分幼少期に動きまくっていた人は、目で見た動きをすぐ自分の体で再現できるのだろうと思いますが、私は今でもそれができません。

 この話を書こうと思ったのは、先日NHKの「チコちゃんに叱られる」で運動神経が良いということはない。それがいいと言われている人は練習時間と成功体験のほかに、上手な人を見習うという3項目ができた人のことだというのを聞いて、多いに納得したからです。そして、力も無く、体力・視力も衰えもているのに今でも運動(バドミントン)を楽しめています。シニア層中心のクラブですが、そこの最年長です。そして小さい頃周囲の子どもたちは、体を動かすことに夢中にになっているなか、読書の楽しさも運動の面白さも感じさせてくれたのは、食糧事情の悪さから虚弱体質になったからだと今では感謝しています。

 しかし、そんなに本を読んでいたわけではなかったのですが、他の男子児童がほとんど利用しなかったので私が目立っただけです。確かに本を読むのは好きで、読み始めたら夢中になり、読み終わったら窓の外は明るくなっていた経験をしたのは小学生高学年の時でした。大学への受験勉強をしているとき理工系志望だったので「チンプン漢文コテン古典(チンプンカンプンコテンコテン)」と友だちが言っている中で国語に対しては苦手意識を持たずにすみました。英語・社会は駄目でしたが。

 多分こんな話は今の若い人たちには分かってくれないだろうなと思います。ある知り合いのお年寄りが、お孫さんに「爺ちゃんの小さい頃は食べる物がなかったんや」というと、「どうしてスーパーに買いに行かなんだん。スーパーが遠かったん」と言われたと苦笑されていました。また電力不足・テレビもない時代ですから、暗くなったら寝る準備をしていました。外は真っ暗で星空がものすごくきれいで、天ノ川も空一杯にはっきり見えました。都会の不夜城で大きくなった人たちには恐怖を感じるかもしれません。 

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