ショック

 今年も今日で最後となりました。こんな年になってもショックを受けることはありました。大きなことは2つです。最もショックだったのは高校1・3年の同級生で、これまで60数年親友だった友だちについてです。彼は今年長年連れ添ってきた妻を亡くし、12月には運転免許証を返納しました。優秀であり・かつリーダーシップもある人物です。世界1のコンピュータメーカーに務め、アメリカにも転勤を重ね技術面でもリーダー的存在でした。日本でコンピュータを作らなくなった後は子会社に異動して、人事にも携わり学生採用を担当していました。その頃私は工業高校で進路担当でした。リーマンショック後で工業高校と言えども就職先がないときでした。もちろん彼の会社が求人してくれることのないのは分かっていましたが、どんな人材を社会が求めているのかが知りたくて、「どんな学生を採用する基準にしているのか」と聞いたことがあります。内定を出すまで、応募学生の出身大学も成績表も見ない。それは何の意味もないから。時にはリクルート社からあんな優秀な成績の学生を何故採用しないのかと問われたこともあったそうです。その訳は、大学で教えられることはほんのわずかで、殆ど役に立たないので大学はどこでも同じだから見てもしょうがない。入社後必要なスキルは会社でそろえている。学生時代は自分の好きな・興味のあることを追求する好奇心と挫折した経験とそれを乗り越えらる柔軟な思考力だと言いました。
 彼の妻は教員でしたが、彼のアメリカ転勤にも転勤1回目は休職してついていき、身につけていた華道・茶道の才を生かして本人もアメリカ生活を楽しみ、次のアメリカ行きでは退職しましたが、十分楽しんだようです。ところが今年亡くなってしまいました。子どももなく彼は1人になってしまいました。幸い近くに姪たちがいて、昔からかわいがっていたので、今は面倒を見てくれています。
 そして彼は数年前から認知症になっていたという。ほとんど物の名前が思い出せない。例えば滋賀県に住んでいるのに琵琶湖がいえず大きな海と言ったりします。前回の免許更新の時からそんな状態だったらしいがその他に不都合なことはなく免許証を発行してくれたらしい。この夏会いに滋賀県に行ったら車で送迎や観光に連れて行ってくれたり、久しぶりなので長い話もしたが、名前を思い出せない以外不都合はなく日常会話もスムーズにできていたし、車の運転についても不安感を持たずに同乗できました。つい我々は認知症と聞くと「ここはどこ?私は誰?」といった状態を想像しますがそればかりではない認知症もあることを知りました。確かに昔は私のコンピュータの先生で困ったことがあるとすぐ教えてくれたのですが、最近は「聞かれても分からん」と言われます。ところが今月になって免許証を返納したと人づてに聞いたので、電話すると検査で引っかかりくれないとのことでした。返納したというよりさせられたようです。車がないと結構不便なところに住んでいるので、寂しいらしくまた会いに来てと言われて、1月下旬に行くことを約束しましたが、大きなショックを受けています。

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