【心に響いたこと】東京大学の祝辞から(過去分も)
毎週日曜は、研究のテーマから離れて、違う趣のものを投稿したいと思います。今日は、SNSで大賑わいの、東京大学の祝辞についてです。かくいう自分にもめっちゃ刺さりました。触発されて色々書いてみます(少し長くなりました)。
刺さったこと①
自分の心に響いた点を3点書きたいと思います。1点目は、以下の「夢」に関する記述です。
「夢」の話としても共感しますが、自分は「専門性」にも置き換えられると思いながら読みました。
最初は、何を専門領域にしたいか、何が自分に向いているのかもわかりませんが、ひとまず、自分の就いた仕事に邁進しながら、その中で学んだり、気付いたり、少しずつ形作られていくように思います。
気付けば、自分のHRD領域におけるキャリアも長くなります。思えば遠くまで来たものだ、、、などと思いますが、最初からこの領域に長く居るつもりなど、微塵もありませんでした。ですが、一度その領域を決めて、行動し、少しずつ自分の専門性が身についてきました。企画、プログラムデザイン、ファシリテーション、コンサルテーションなど、少しずつですが、色々と出来ることが増えていきました。そうすると楽しくなり、興味も湧き、もっと出来ることを増やしたくなって、今に至ります。
といった自分の経験からも、ここだ!と思える自分の専門性は、夢と同じように、探し続けて行動し続ける(+まずは一旦就いた仕事で頑張ってみる)ことでこそ、見つかるのだろう、と思います。藤原和博さんの話にも近いかもしれません。
馬渕さんの上記引用部でもう一つ大事だと思うのが、「興味のままに探す」大学4年間を過ごしてほしい、というメッセージです。
以前、シンガポールに赴任し、そこで新卒の採用を行った際に出会ったのは、「目的意識を高く持っている優秀な学生たち」でした。その学生たちは、大学入学前に興味のあるものを見つけており、そのために大学を選んだのかもしれません。しかし、大学に入学してから見つけたような気もします。(シンガポールは結構、偏差値教育です)
ただ、圧倒的に目的意識を持って大学生活を過ごしている、と感じました。企業での長期インターンも、自分の学んだことを活かしたり、興味のある分野に飛び込む、という観点で申し込んでいます。日本ほど、就職活動の一環としての「スタンプラリーの一つ」という感じもありませんでした。むしろ、就業体験から学びを得る、会社を知る、という感じです。
興味を大事にして、自分の夢を探し続ける4年間を過ごすという「目的」がセットされると、全然違う過ごし方になるのだろうと思います。
刺さったこと②
心に響いたこと2点目は、以下の文章です。
100億パーセント共感です。自分は、環境に流される弱い人間だと自認しているので、常に、すごい人たちの中に身を置いたり、修羅場に身を置いたりすることを意識してきました。
北海道の片田舎から札幌の進学校に進み、最初は真ん中より下の成績だったけど、成績の良い(良すぎない)友人と張り合うことで、少しずつ順位を上げました。その後、一浪して東京の大学に進学し、そこでも、すごい人たちの居るゼミを敢えて選び、刺激を受けながら背伸びしました。
社会人になっても、高い目標に苦しんだり、社会人2年目で1000人規模のイベントを回す中で挫折を味わったりと、修羅場ばかりでした。本当にきつかったですが、気が付いたらレベルアップし、次の機会への挑戦権を手にしている、そんなことの繰り返しです。
2020年に入学した立教大学大学院(LDC)も同様でした。学びの意識が高い動機たちと切磋琢磨できる環境に身を置くことで、自分の専門性を鍛え直す、という思いで門をたたきました。「くるたのしい(苦楽しい)」日々を過ごす中で、新しい自分へと変容を遂げました。(昔は、博士を目指すなんて1mmも思ってなかった・・・)
上記に加えて、自分が意識していたのは、「自分で人生を選択する」という意思です。仕事も、会社も、環境も、選んでいるのは自分であり、その状況を受け入れているのも自分の選択である、という意識はかなり強い方です。
「環境が人を作る」「環境は『わらしべ長者』のように力をつけて、経験を組み合わせながら得ていく」「環境を選んでいるのは自分自身」という感覚を持つと、人生は豊かになるような気がします。(持論です)
刺さったこと③
3点目、以下の「リスク」の話も響きました。
失敗しないことがリスク、というのは、記事などで目にすることも多いですが、「難しい挑戦に踏み込まないことで、成長できず、なりたい自分になれないリスク」、というのは、今すぐにでも、若手社員に伝えたいメッセージです。
難しい挑戦は怖いものです。自分も一度だけ、とあるビッグプロジェクトを推進する中で、「さすがにこれは難しい。時間的にも能力的にも」と思い、上司に泣き言を言った覚えがあります。
その時、上司は「いいよ、ほかの人に任せても。でも、寂しいな」という声をかけてくれました。当時の自分は、「でも、寂しいな」という一言が刺さり、悔しさと、信じてくれていた上司への申し訳なさが込み上げて、「もう少しだけ頑張ってみます」と伝えたのでした。
難しいプロジェクトをやり切ったことで、管理職に昇進し、のちに、その時に見ていてくれた関係者が、シンガポールでの研修体系変革プロジェクトに呼んでくれました。人生は何がどう転ぶかわからない、でも、難しい挑戦に踏み込むと、得られるものは大きい、というのは、自分の中で大きな財産になっています。
そしてこの経験から得た、もう一つの大事なことは、「寂しいな」と言える上司でありたい、ということです。辛いときに寄り添って、「頑張れ」でも「仕方ないな」でもなく、「寂しいな」と言ってくれる。まさに、インクルーシブな上司像だと思っています。まだまだ、その域には至っていませんが、少しでも近づけるよう、なりたい自分になるためのリスクを負っていきたいと思っています。
そのほかの祝辞も興味深い
馬渕さんの祝辞がとても心に響いたので、他の年度の祝辞も見てみました。正直、「校友会」の方の祝辞は刺さりませんでしたが(どの年度も・・・)、前年度に贈られた、映画監督の河瀬直美さんの祝辞も心に響くものでした。長くなりそうなので、引用だけしておきます。ウクライナ侵攻の最中、このメッセージを発信することには勇気も必要だったように思います。
祝辞集、改めて見ると気付きが多くありました。大学入学の節目に、このように、誰かを思い、時間を掛けて練られたであろう素敵なメッセージを、直接聞けることはとても贅沢なことだと、今は思います。
(当時、入学式があまりにも退屈で、途中で友達と抜けてしまうほど、浮かれていた大学生時代の自分には、どんなに良いメッセージも刺さらなかったかもしれません・・・嗚呼。)
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