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戦国サムライのヨーロッパ戦線

チェストー

薩摩時源流の一撃必殺の打ち込みで石榴のようにカチ割れた脳天がブロンドの豊かな頭髪を纏っていた。

島津侍が白刃をもってその乾坤一擲の斬り込みにより絶命に至らしめたのはカタロニア騎士団長だったから、日本の侍の日本国外での殺傷行為の中でも極めて歴史的な成果だったろう。だが彼はもう首級(しるし)を挙げると言う、従来侍の誉れとなる戦勝報告をする慣習を捨て去っていたから、やはり武士というのは基本、合理精神によって機能的に生存方法を取捨選択する、戦闘機械のような「生き物」だったと窺い知れる。

三十年戦争渦中、リュッツェンの戦いでグスタフ・アドルフの傍に島津侍が居たことを物語る歴史的資料はほぼ存在しない。大坂の陣を経て徳川政権が天下を治めた後、その太平の世から抜け出した武士たちの足跡を辿ってみよう。

(インスタントフィクション Story 016)



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