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或る土曜日の決意表明

ソウルから帰国し、品川駅でJR線に乗り換える。夜の10時過ぎ、突然の満員電車へ、無理に乗り込もうと身体をねじ込む不機嫌なサラリーマン。車内から若い女性の小さな悲鳴が聞こえた。ぼくはすぐにイヤフォンで耳を塞ぐ。

いつから東京はこんなに息苦しくなってしまったのだろうか。普通に街を歩くだけでも苦しくて堪らない時がある。生きている心地があまりにしない。都市に生かされているという気さえする。もしかすると、もっと昔から東京はこうだったのかもしれない。

東京という街が悪いのではない。時代の進化とともにそこに暮らす人々の歯車が少しずつずれはじめ、誰もが保身のために人と人の間の分厚い壁を作り始めてしまったのだと思う。モノも情報も豊かになり、人の心は貧しくなったのだと思う。夕焼けを綺麗だと思えるような、当たり前の感覚は、無機質な日常に溶けて無くなった。東京で生きていくためにはそんなもの必要が無いだけなのかもしれない。

だけど、そんなの今に始まったことではない。いつの時代もそんな葛藤を抱えて苦しむ人はたくさんいた。かの三島由紀夫は東大共闘との討論会で「われわれのような影響力しかもたない一般人が大きな何かを変えようとするならば、それは少々非合法にならざるを得ない」といったようなことを話した。三島の願いは叶わず、翌年市ヶ谷駐屯地で無念の死を遂げる。

三島の才能を見出したとされるノーベル賞作家・川端康成も、三島の自決後に「もののあはれ」の精神にのっとり、世の中が良くならないならばかつての輝かしい日本とともに滅びてしまおうと自らの命を絶ったとも言われる。彼らが夢見た日本はどんなものだったのか、気になって仕方がない。

彼らは兎に角純粋だった。自分の心に嘘をつけなかった。道化のように時代の流れに合わせて心をころころと変えてしまう人の情が分からなかったのだろう。今の世の中を、うまく生きてゆく方法はいくらでもある。だけど、そこまでして、偽善者の如く生きていくのはあまり楽しいものではないと、少なくともぼくはそう思ってしまう。もちろん、なんとも感じずに日常を楽しく過ごしている人も沢山いる。ぼくはそれが不思議でならない。

もっと自然に笑いたいし、時には涙を流したいし、当たり前の美しさを当たり前に気付けるような人間でありたい。そんなに望むなら、自然豊かな地方へ移住でもすればいいと思われるかもしれないが、それでは意味がない。東京という街が嫌いではないし、東京から逃げ出してしまっては何も変わらない。

だから、東京のなかにいても、そんな当たり前の感覚を取り戻すことができる場所、そんな感覚を共有できる空間があればいいのになと切に願う。「もののあはれ」の精神性に準じて散りゆくのでもなく、非合法なやり方でアピールをするのでもなく。もっと自然に、力入れないやり方で、余白の或るユートピアを東京にこそ作りたいと思う。どんな形態になるのかはまだ分からない。これは、ぼく自身のこれからの決意表明でもある。

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