支笏湖

心のざわつきと、どこまでも透明な湖

午前中の宅配を待ち、12時過ぎに家を出た。電車に乗ろうとしたところ、人身事故があったという案内。僕が向かう方面の隣駅だった。2駅先で乗り換えがあるので、仕方ないから歩こうと思い直し、炎天下の中を20分ほど歩いた。

何も考えていなかったのだけれど、線路沿いに駅を目指したせいで、人身事故の現場を通ってしまった。現場には無数の警察車両、消防隊が止まり、無表情のまま交通整備と現場検証を行なっていた。事故車両の電車にはまだたくさんの人が乗ったまま、動き出すのを待っていた。向かいから来た対向車両もすぐ目の前で停止している状況だった。それ以上何も感じなかった。

今日は夕方に一件取材があるだけだった。ビジネスの取材なんだけど、すごくアート思考を持つ方(というかアーティストと言ってもいいほど)で、ビジネスの話はほんの2割程度。残りの時間は僕が食いついてしまって、感覚的な部分ばかりを聞いてしまった。波長が合うとビジネスの取材でもこうなってしまう癖があるのだけど、すごく楽しかったし、相手の方も喜んでお話をしてくださった。

要約すると、その方が大事にしているのは、ピュアでいること、対等に接すること、変化する余白を持ち続けることだった。特に経営者としての葛藤もありながら、これまでの人生を振り返り、語ってくださった。そんな話が聞けて、すごく嬉しかった。

ピュアでいることは誰しもが憧れると思うが、なかなかそれを維持することは難しい。ピュアな気持ちで物事に接し、判断できる感受性を失いたくはない。そんなことを思った。

そうして、帰宅。当然だが行きと同じ線路を使う。昼間のことなどなかったこのような平静を装って電車は駆け抜けてゆく。人身事故の現場を通る時に少しだけ心がざわついた。周りを見渡すが、その事実を知らないからか、知っていてもなにも思わずにスマホを見ているからか、なにも変わらない時間が流れてゆく。

ピュアであることは生き難い。だけど、心のざわつきは忘れずに生きていたい。本当は今週はもっとゆるい日記を書きたかったのだけれど、どうしても、感じてしまったことをアウトプットしたかったので。写真は人生で出合ったもっともピュアな湖、北海道・支笏湖。関係があるような、ないような、もはや場所については意味をなさない日記になってしまったのである。


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