見出し画像

「そもそも。」前提を疑い、考える意味 〜コロナ禍において大切なスキル〜

今日(も)車を運転しながら、YouTubeを音声として垂れ流し、聞き流していたのだが、編集者の箕輪厚介氏が面白い発想をしていた。

【人々は朝型に変化する】
不要な会食も無くなったおかげもあってか、夜出歩くことが減った。

→自ずと、規則正しい生活となり、夜型から朝型の生活習慣が身についた。

→そうなると、重めの仕事は集中力の続く、午前中に済ませるようになり、夜には集中力が切れるように

→以前は夜に会食しながら、密度の濃い話をお酒でも飲みながら、ってのが多かったけど、ぶっちゃけ酔っ払ってくると途中から適当になっちゃうし、次の日二日酔いとかで生産性が上がらなくなっていたことに気がついた

そのことより、箕輪氏は人々の時間の使い方のウェートが変わるのではという示唆から、「朝ディナー」ってのが流行るんじゃないの!?
という、予測立てをしていた。

実際、酒好きの箕輪氏において、酒を飲まない朝の贅沢な会食の方が密度の濃い話し合いができた、と言ってたのと、その後の1日の過ごし方の充実度もめちゃめちゃ良かった、と言っていた。

【生活様式の変化本質、とは?】
人々の生活様式が変わった、と方々でいうが、その本質を掴む必要がある重要性が大切なんだと、上記の事例で感じたし、そこに人々のニーズとブルーオーシャンが広がっているんだろうなと感じた。
まさに、「前提を疑う」というクリティカルシンキングの重要性である。

これまでの常識を捨て、変化した生活の中で、何が本質なのだろうかと見極めること。

上記事例であれば、会食は夜、酒を飲みながらするもの、という思考停止(政治家に訴えたい!)状態を捨てて、新しいことをやっていくことが必要なんだろうと思うし、仮にその行為が人間が健康に生きてくことに繋がっていたり、社会的課題の解決に少しでも繋がっていれば、貢献度の高いビジネスを生み出すんだろうなと考えさせられた。

こういう時期・タイミングだからこそ、少し引いた目で大局的にこれからの「そもそも」について考えてみようと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?