研究を志す現職教員院生の分かれ道になるもの
現職院生が研究の世界に入っていこうとする際、狭く限定された題材を扱った研究に対して、「こんな細かいことやって意味あるの? これだから研究なんて役に立たないんだ」ではなく、「こんなふうに対象を限定しているからこそ見えてくることがある、到達できる深さがある」と(腑に落ちた形で)思えるようになるかというのは、一つの大きな分かれ道であるように思う。
実践的な関心も情熱も強い分、どうしても、大きなテーマ(「深い学びとは?」みたいな)を手がけたくなるし、大きな話を論じたくなる。そして、対象をグッと絞ってそこに深く入り込むことが、まだるっこしいもの、現場のニーズから遊離したもののように見えてしまう。こうした疑念が真っ当な、重箱の隅をつつく、本質的なところとのつながりが見えないような研究も、たしかにある。が、対象を狭く絞ったものすべてがそうというわけではない。
「対象をくぐる」ことによって見えてくる世界があるということを信じられるか。その魅力や面白さを実感できるか。
この感覚はまだ私もなかなかうまく伝えられないのだが、「対象をくぐる」ことの大切さというのは、私自身、大学院での指導教官だった田中耕治先生から教わったことなので、研究に関心を持ったり志したりする先生方にうまく伝えていけたらなあと思う。
今日は教職大学院のグループでの演習で、今年度入ってきた学卒と現職の院生による課題研究計画の発表だった。上記は、そこでのやりとりのなかで、あらためて私に見えてきたこと。
なお、今日他に私がしゃべったのは例えばこんなこと。
「現場でこんなことをやっていきたい!」「自分はこんなことを目指して実践に取り組みたい!」という実践的決意と、何を明らかにしたいのかという研究的問いは、一応分けて考えなければならないこと。
「○○を言いたい」というのが先にあって、その結論に行き着くように、自分が調べたこと・学んだことを並べていくような研究は、えてしてつまらないものになるということ。
この演習はグループゼミの形をとっているので、他の先生方のコメントも聞けるのがありがたい。
今日だと、O先生の、「○○は○○」と一括りにして(全称命題で)語るべからず、そしてそこに、個々の研究や実践を丹念に見ていくことの必要性と意義がある、といった話とか。
いかに研究指導を行っていくか。私にとっても日々勉強だ。
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