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吃音の高校生、撮り直し可のプレゼン動画提出と一発勝負の対面面接、どちらを選ぶ?

第31回吃音親子サマーキャンプにスタッフとして参加してきた。
「吃音とともに豊かに生きる」ことを掲げる日本吃音臨床研究会(代表:伊藤伸二)が主催する行事だ。

このキャンプには、学生のときからもうかれこれ20回以上参加してきた。昨年・一昨年はコロナ禍のため中止。今年も、開催するかの判断はギリギリのところだったが、なんとか再開にこぎつけた。

滋賀県彦根市の荒神山自然の家に、全国から、どもる子どもたち(+きょうだい)とその親、スタッフ(どもる大人やことばの教室の教師、言語聴覚士など)が集まり、2泊3日でみっちりと吃音と向き合う
子どもたちは、吃音について話し合いをしたり作文を書いたり、劇の練習と発表をしたり、山に登ったり。親も、話し合いと学習会とプチ表現活動がある。
スタッフは、何かをしてあげたり教えたりするような存在ではない。たしかに話し合いのファシリテートや劇の練習のリードはするが、スタッフも一参加者としてここに(同じ参加費を払って)学びに来ている。伊藤伸二さんが大事にする「対等性」。伊藤さん含め、誰に対しても「先生」呼びはしない。
今年もなんとか活動の柱は変えずに、約80名の参加者ら(例年より小規模)と共に、3日間のプログラムを実施することができた。

さて、そんなキャンプで、今回一つ印象に残ったこと。
小学生のときからの参加者で、無事AO入試で第一志望に合格して、大学生となって今回のキャンプに来ていた男の子の話

そのAO入試、元々は対面での面接が予定されていたのが、コロナ禍の影響で、15分間のプレゼン動画の提出になったらしい。どもりまくって内容が飛んだりで撮り直してを繰り返して、結局、彼は動画の作成に丸2日間かかった。最終的にもたくさんどもった動画だったが、中身に関しては、やりきったと思えるもの、自分が出せるものを出し尽くしたと思えるものになったらしい。そして無事合格。達成感を得たという。

そんな彼に、気になったことがあって聞いてみた。

動画提出なら、思いっきりどもったとしても何度でも撮り直すことができるわけだけれど、それと、元々予定されていた対面での一発勝負での面接、もしどちらか選ぶならどっちを選ぶ?

彼は即答した。

絶対面接です。

撮り直すことでより整ったものを出せる選択肢があったとしても、彼はそれよりも、一発勝負の対面面接を選ぶという。彼はこう言う。

相手の反応を見ながら、「ここもうちょっと話したほうがいいかな」とか調整して話すことができる。相手なしでカメラとマイクに向かってしゃべるのはしんどい。「もう一回」とかしていると、よけいどもって、ドツボにハマっていく。

んー、まあ、彼は元々人に積極的にかかわっていくほうだしなと思って、大学生&高校生グループの話し合いのときに、他の子たちにも聞いてみたら、「私も対面がいいです」だった。
理由は同じ。「相手に合わせてしゃべるほうがしゃべりやすい」。

キャンプに何度も来ていて自身の吃音を一定受け入れている子たちだからなのか、あるいはこれが一般的傾向なのかは分からない。
が、これは、第三者による勘違いを招きやすいポイントでもあるのかなと思う。
つまり、「どもる人たちは、できるだけどもらずにしゃべる姿を見てもらえるほうがよいだろうから、撮り直しがきく動画作成と提出のほうを好むだろう」といった一方的な思い込みだ。場合によっては、それを「合理的配慮」とさえ呼ぶかもしれない。

けれども、少なくとも今回来ていた子たちは、たとえやり直しはきかなくても、人と直接しゃべることができるほうを選んだ(そもそもそのほうが楽にしゃべれる、一人でカメラに向かってしゃべるとめっちゃどもる、というのもあるようだが)。

ことばは人から人への働きかけだ。
望ましいとされる型に近づけてしゃべれるようにすることがゴールでは決してない
このことを忘れて、教師や専門家は、ただ見かけ上のなめらかさをよしとしたりそこを目指させたりしてしまってはいないか。
あらためてそんなことを考えさせてくれる出来事だった。

【補足①】
一つ前の2019年の第30回キャンプを朝日新聞に取り上げられたときの記事。このときには、まさかその後2年間、感染症の流行のためにキャンプが開けなくなるなんて、思ってもみなかった。

【補足②】
『吃音ワークブック』。吃音と共に生きていく子どもを支えるための1冊。キャンプの話も登場する。


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