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必要なのは仮想空間かリアル空間か ~岡嶋裕史『メタバースとは何か』とクリネンバーグ『集まる場所が必要だ』を読む~

あわせ読みを薦めたい2冊。
まずはこちら。

岡嶋裕史『メタバースとは何か ―ネット上の「もう一つの世界」―』光文社新書、2021年

岡嶋氏の書籍を読むのは、『ブロックチェーン 相互不信が実現する新しいセキュリティ』『プログラミング教育はいらない』に続き3冊目。新しい技術と社会の展望について平易な語り口で解説してもらえる点はありがたい。

「サイバー空間における仮想世界」を意味する「メタバース」。VR技術の進歩もあって、最近注目の的だ。
岡嶋氏によると、仕事や恋愛もメタバースのなかで済ませられるようになることによって、こうした仮想世界の中での生活が今後より一般化していくという。「SNSで人は情報を共有しましたが、メタバースでは体験を共有することになります」(エピローグ)といった説明は分かりやすい。
メタバースまでの技術発展の歴史やGAFAM各社の戦略の解説も参考になる。

岡嶋氏は、自身はメタバース積極派である一方で、その働きに関してはある種冷ややかに突き放して見ている。
つまり、メタバースは「現実とは少し異なる理で作られ、自分にとって都合がいい快適な世界」(プロローグ)であり、「フリクションとリスクを最小化した社会」(第3章)をもたらすものであることを認めたうえで、「『それでいいじゃない、もう一つの世界で生きて、死のうよ』が本書の主張」(第2章)という立場をとっているのである。
このあたりの賛否は分かれるだろうが、少なくとも、「新技術が素晴らしい社会を導く」式の論調も多いなかで、美化せず論じるところは貴重だ。「もしメタバースが平等に見えるとしたら、それはフィルターバブルにくるまれた人が見る幻想としての平等です」(エピローグ)、現行のSNSに対しても、「SNSは友だちとつながるサービスではない。合わない人を切り捨てるサービスである」(第3章)といった指摘は至言。ある意味、「個別最適」が行き着く先になるのかも…と考えさせられる。

本書を含めて、VRなどの議論の多くで私が不満なのは、現実(本物)の世界の捉え方が表層的に思われること。
視覚的・聴覚的に(さらには触覚や嗅覚も)情報密度を高めてヘッドセット等の装置で360度ビューで投影すればまるで現実の世界にいるかのような没入感を得られる、みたいな主張がそうなのだが、そこでいう現実の世界は、情報処理マシーン的に日々過ごすことを余儀なくされている現代人による捉え方だろう。一方、演劇ワークショップなどでよく体感されることだが、人間は本来、他者の息遣いを感じたり、光や音の肌触りを感じたり、鋭敏な身体感覚をもっている。また、普段でもそれらは、無意識的でまた制約された形であるにせよ、われわれが人とかかわるときにある程度働いている(だからこそ、zoomで画面越しでやりとりするときに、微妙な話しにくさを感じるのだ)。こうした部分がかえりみられないまま、矮小化された形での「現実」が、「仮想現実」とか「拡張現実」とかいうときのベースになっているのは、不満だ。

物理的空間を離れて、仮想世界のなかで公私とも生活のかなりが済ませられるようになる「メタバース」の時代。
かつてシータは、(人は)「土から離れては生きられないのよ」と、ラピュタ復興を目論むムスカに迫ったわけだが、今後はわれわれは、わざわざ「コンクリートを離れては生きられないのよ」などと言わなければならなくなるのだろうか。

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続いてこちら。

エリック・クリネンバーグ著、藤原朝子訳『集まる場所が必要だ ―孤立を防ぎ、暮らしを守る「開かれた場」の社会学』英治出版、2021年

先ほどの『メタバースとは何か』とうってかわって、こちらは徹底して、人々が集まれるリアルな場所(社会的インフラ)の重要性を説く。

社会学者である著者の出発点は、1995年のシカゴ熱波。700名以上の死者が出た惨事だったが、地区間の比較をしてみると、同じような貧困やマイノリティの地区でも、被害が大きかったところとそうでないところがある。調査を進めると、それを分かつのは、「人々の交流を生む物理的な場や組織」=「社会的インフラ」であることが見えてきたという。

本書では、その視点でもって、犯罪の抑制、教育、健康増進、人種差別の解消など社会のさまざまな領域を論じていく。例えば、教育の場合、マンモス校の高校を5分割することによって、卒業率が改善していったというような話だ。
本書で描かれる、図書館、黒人理髪店、スポーツ施設(バスケットボールコート、サッカー場etc.)などでのさまざまな背景をもった人たちの交流の様子やそれへの考察は魅力的だ。

著者は、インターネットが現代社会において大きな役割を果たしていることを認めつつも、一貫して、リアルな空間の重要性を説く。

「フェイスブックのデザイナーがいくらコンテンツに工夫をこらしても、命の危険を脱したり、信頼を構築したり、社会を再建したりするのに必要なつながりをつくるためには、オンラインの「友達」との「あいさつ」や「いいね」だけでなく、物理的空間における反復的な交流が不可欠だ」(終章)

一方、若者への目線はあたたかい。

「インターネットが若者の中核的な社会的インフラになったのは、意義あるつながりを求めて物理的な場にアクセスする機会を、大人が不当に奪ってきたからだ」(第1章)

学習や成長において空間というものがもつ力に注目してきた私(「学びの空間研究会」を主宰しているくらいなので…)にとっては、こうした視点がよりマクロなレベルでもつ、社会の分断を橋渡しするうえでの重要性を認識できる本だった。


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