山口良忠

 現在深堀真っ最中の「悲願へ 松下幸之助と現代」の中で、山口良忠という方が紹介されていました。サラッと触れられただけだったのですが、終戦後の食糧難の時代に、国の配給食糧のみを食べ続けて、栄養失調で餓死した方だそうです。

 佐賀県の出身で京都帝国大学から大学院に進んで司法試験に合格、裁判官となりました。昭和21年に東京区裁判所の経済事犯選任判事となり、主に闇米を所持していて食糧管理法違反で検挙、起訴された被告人の事案を担当していたそうです。この仕事を担当する上で、自らも闇米を食べてはいけないと、闇米を拒否するようになりました。配給のほとんどを2人の子どもに与え、自分は妻と共に汁だけの粥をすすって生活していたそうです。見かねて、親せきが食糧を送ったり、食事に招待したりしましたが、それらも拒否しています。自分で畑を耕して芋を栽培する等もしたそうですが、身体は悪くなるばかり。それでも、「担当の被告人100人を未決のままにしてはならない」という使命感から仕事を続けています。全ての判決を終えて、故郷で療養することになり、配給以外の食べ物も食べるようになりましたが、栄養失調に伴う肺浸潤により33歳で亡くなったということでした。

 裁く以上は、自分も闇米を食べないという姿勢に大変共感させられました。それが33歳の若い青年ですから素晴らしいです。共感はするものの、実際に自分がその年齢で、その立場に置かれた時に同じことが出来るとは思えません。また、そのように自分に厳しい姿勢だったことから、食糧管理法違反で逮捕された人々に対しても厳しかったのではと思われましたが、むしろ同情的で情状酌量した判決を下すことが多かったそうです。

 病床日記なんて言うものが残されているそうですが、そちらは山口の妻が真贋に疑問を呈しているそうです。一方で山口の妻は生前山口が「人間として生きている以上、私は自分の望むように生きたい。私はよい仕事をしたい。判事として正しい裁判をしたいのだ。経済犯を裁くのに闇はできない。闇にかかわっている曇りが少しでも自分にあったならば、自信がもてないだろう。これから私の食事は必ず配給米だけで賄ってくれ。倒れるかもしれない。死ぬかもしれない。しかし、良心をごまかしていくよりはよい。」と語っていたと回送しているそうです。
 
 山口の死は、当時大きな論争を巻き起こし、批判的な意見もあったそうですが、これくらいの気持ちでド真剣に仕事に、いや人生に臨んでいる方なんて、尊敬するしかありません。

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