自己認識が書き換わる時
昨日からドキドキしていたコーチングが無事終わったので、備忘録がてら自分の内面に起きた変化などを書き留めておこうと思います。
「京都が好きかどうか」はある種どうでもよかった
いきなり、強烈なフレーズですが、これはどういうことか整理してみます。
自分自身、これまで、「京都が好きだから、京都に拠点を移した」という風に、自分自身の行動を解釈していました。ただ、これは、正確にいうと、ニュアンス的に正しくないことが、コーチングを受ける中で分かってきました。
より正確に伝えると、「価値観が異なる体験をすることによって認識を変化し続けること」が自分にとって大事なのであって、現時点でそれが起きやすい場所だと感じたのが京都でした。
過去のnoteを読んでいただくと分かるのですが、そうした価値観が異なる体験をすることによって、自分の内面の変化を書き残したい、という欲求が自分の中にあります。(そして、このnoteもその欲求を満たすためのものです。)
認知が書き変わったことによって起きた変化
「京都が好きだから、京都に拠点を移した」という認知でいた時は、「今は楽しく過ごせてるけど、京都に飽きたらどうしよう」みたいな不安が、うっすらとつきまとっている状態でした。
また、「京都で次のチャレンジを模索します」という宣言をしたら、「京都は任せました」「京都は頼んだ」と言われることもあり、光栄だなと思いつつ、「自分がしたいことは京都を背負うことなのだろうか」という違和感が自分の中にありました。
ただ、自分自身がしたいことが、「価値観が異なる体験をすることによって認識を変化し続けること」だと腹落ちした瞬間、上に浮かんでいたような思いは、すべて不要な思い込みだったことに気づきました。
最適な場所は、今は京都かもしれないけど、京都以外にも気になる場所はあるし、今度住む場所として最適な場所なのは違う場所かもしれない。そもそも「1つの場所に住む」ということ自体が、自分にあってない可能性すらあります。
アイデンティティを更新したタイミングでまずやること
ということで、noteをはじめ、SNSのプロフィール文も早速書き換えました。表現は、見直しつつですが、こんな感じで当面やってみようと思います。(抽象化すると、よく分からない人になったので、実例で示していきたい所存・・)
体験によって起きる内面の変化を言葉に残し続ける人
「今はだいたい京都にいます」「京都に住んでます」とも一応入れておこうかなとも思っていたのですが、自分自身を縛ってしまいそうになったので、いれないことにしました。
※ちなみに、前はこんな感じでした。事実として間違ってはないのですが、過度に京都に執着、迎合しようとしていたなと実感・・
京都に拠点を移して、次のチャレンジに向けて準備中
という形で、いい感じですっきりしたタイミングで、これからの日常がどう変化するのかをウォッチしていこうと思います。
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