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対角線のパス

10代の頃の僕にとってサッカーは、ありふれた表現だけど全てだった。小学4年で地元の少年サッカー団に入り、そこから中学3年間と高校3年間を部活としてサッカーに取り組んだからだ。僕自身は選手としては中の下位で、中学まではレギュラーだったけど、そこそこ強かった高校ではレギュラーメンバーには入ることが出来なかった。勿論選抜などに選ばれたこともない。ポジションはサイドバック。今でこそサイドバックはチームの勝敗を分ける重要なポジションになっているけれど、当時はまだまだ地味なポジションだった。

そんな僕のサッカーに関する思い出は、本当に沢山あるのだけど、鮮烈さという意味において、今でも僕の脳裏に焼き付いている思い出が1つある。それは僕が中学3年生の時のある練習試合のことだった。時期は10月か11月位だったと思う。

その日は土曜か日曜の休日で、僕が所属する中学校のグラウンドでは午前中に僕らが練習、午後に高校生が練習試合をすることになっていた。普段高校生同士の試合を僕らの中学のグラウンドでするということはほとんど無かった。しかし、その時は本当に試合場所がなく、僕の中学の3学年上の先輩が試合をする高校のサッカー部に在籍している関係で、僕らの中学校のグラウンドが選ばれた。試合をする高校は、『松商学園高校』と『韮崎高校』。
両校共に全国高校サッカー選手権に何度も出場している名門校で、二校ともにその後に控えている全国高校サッカー選手権に出場するため、その調整と強化の為の練習試合だった。勿論Aチーム同士である。

なぜ僕がそんな昔の練習試合を鮮明に覚えているのか?それは当時の韮崎高校に後の日本代表選手になる『中田英寿』がいたのである。当時はまだ高校生だったので、世間的にはそんなに有名人では無かった中田ヒデも毎週のようにサッカー雑誌を読んでいた僕のような中学生やサッカー関係者にとっては既に群を抜いた知名度があった。中田ヒデは高校2年生でU17日本代表に選ばれ、当時高校生でありながら、多くの国際試合を経験していた。そんな有名人が普段練習しているグラウンドで試合をする。それはちょっとした事件だった。

試合が始まると、韮崎高校のエースである中田ヒデに自然と視線がいってしまう。やはりその技術や視野の広さ、フィジカルの強さ、そして圧倒的な存在感は他の選手を圧倒していた。同じような体格の高校生同士なのに、何故か中田ヒデが僕には大きく見えたのだ。何故なのか当時の僕には、その理由が分からなかったけれど、その後の中田ヒデの日本代表やイタリアでの活躍を鑑みると、あの高校生として練習試合をしていた頃から、きっと意識はずっと先の先である世界を見ていたからじゃないか。ふとそんな事を考えてしまう。

試合の結果は、確か2対1で韮崎高校が勝ったような気がする。気がするというほど、正直結果は覚えていないのだ。ただ試合中に僕の目の前で中田ヒデが左サイドの深い位置から、逆サイドの選手に出した対角線のサイドチェンジの鋭い弾道とスピードのパスの軌道が鮮烈に僕の瞼に今も焼き付いている。
そのあと何度もテレビで中田ヒデのプレーを見たけれど、あの練習試合の鮮烈さを超えたことはない。

#サッカー #中学のグラウンド #練習試合 #中田ヒデ



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