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カーテンにつかまり立ちをした君が羽化をしたての夏と思えた/伊東 美穂

2023(令和5)年10月1日に行われた第50回東北短歌大会において入賞歌10首に選ばれた一首。

 

「つかまり立ち」から1歳ごろの子のことだとわかる。夏ごろの生まれだろうか。テーブルなどのしっかりしたものではなく、柔らかく頼りない「カーテン」につかまったところに作者は目を向けた。「君」は、作者の身近にいる子のことだ。

 

ここでの「羽化」は、「昆虫が、蛹さなぎや幼虫から、成虫になること」という意味であり、隠喩として使われている。ハイハイやずりばいなどをしていた子がつかまりつつも足を床につけて立つという成長の一端に生命の神秘を見出している。カーテンにつかまっている様子が、葉につかまる昆虫と重なったのだろう。「したて」であるので、まだおぼつかない様子である。「夏」に羽化する昆虫にはセミやトンボなどがいる。そういった昆虫が成虫になるということは、見た目の上でも様になっているということでもある。子も同様で外見上も何か自信を持ったような感じがしたかもしれない。1歳ごろであれば、暑い夏の日はロンパース肌着一枚で過ごすこともあるので、その肌着がまだ湿り気のある昆虫の翅のさまと重なったか。

 

「と」という引用の助詞により「羽化をしたての夏」が名詞句として独立し浮き上がる。ここでこの歌の不思議な点が見えてくる。実は、「君」は、虫ではなくて「夏」に喩えられていたのである。「夏」の持つプラスのイメージには、海や山での心地よさ、薄着であることによる身軽さといったものがある。春が羽化して夏になる。ここに詩がある。新緑、開花、鳥のさえずり、虫の成長。人はさまざまなところに夏を見いだす。

 

「思えた」は、「思う」の可能動詞「思える」に助動詞「た」が付いた形だ。可能動詞であることで、作者が「こう思わせてくれてありがとう」と思っていると受け取れる。そこに「た」がつくことで、現前の子の様子を見てすぐ持った感慨であると取れる。「つかまり立ちをした」の「た」も同様に「発見」の意味の「た」と取りたい。


「羽化をしたての夏」という喩えに目が行くが、語の面でも、文法の面でも学ぶべきところの多い一首だ。

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