まるで夢か魔法のように

 屋外運動場を作るにあたり、遊具をつけるかどうかという話をしていた。もともとつける方向で話を進めていたのだが、空間的にあまり広くないため、遊具をつけてしまうと他に遊ぶスペースが圧迫されてしまうのではないかという疑問から始まった話だ。

 ブランコやら鉄棒やらも楽しいけど、ちびっこたちはただただ走り回っているだけでもすごい楽しそうだもんね。そのようなことを言ったら「皮肉ですか」と言われてしまった。たしかに、私がそのようなことを言っていたら皮肉と思われても仕方がないのだが、これは皮肉ではない。純粋な尊敬の言葉である。

 ちびっこたちは、広い空間に行くとなぜか走り出す。鬼ごっこのように遊びの種目を定めているわけでも、彼ら彼女らに「足が速くなりたい」とかいう目標があるわけでもない。本能なのか何なのかは分からないが走り出し、そして楽しそうにしている。そんな姿を見ると「ああ、何もないところでただ走っているだけであんなに楽しく時間を過ごせるなんてすごいなあ、もう自分にはできないことだなあ」と思ってしまう。

 ところで、私のような人間でもディズニーに行くことはある。そして、ディズニーに行ったときにはミッキーの耳をつけて園内を回っているのだが、家に帰った後には「どうしてミッキーの耳なんか買ってしまったのだろう。どうしてミッキーの耳なんか付けてしまったのだろう」と反省会をするハメになる。あの雰囲気にアテられて、夢を見たのか、魔法をかけられたのか。

 夢か魔法か。大人になってしまうと、どんどん夢を見なくなり、かけられていた魔法は解けていく。ただ走り回るだけで無上の楽しみを得ていた人たちは、バカ高いお金を払い狂騒の中に身を置かねば我を忘れることもできなくなる。これが大人になるということならば、大人ってやつにはなりたくないね。

 遊具をどうするかという話は、結局つける方向で進むことになった。やはり空間が広くなく、走り回るのも難しいという話になり、それならばいっそのこと「遊具で遊ぶ場所」として位置づけることにした。

 遊具で遊ぶ場所とするなら、いい遊具をつけたいですね、例えばディズニーみたいな。余計な一言。今度は、貧乏な我社に向けた皮肉で合っています。

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