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つぶやき ~自我のビッグバンと無限の孤独~

2年前に田んぼで、すべての境界線が溶けて「すべてはひとつだ」というビジョンを受け取って以来、自分の死生観が大きく変わってきて、それに伴い自分の中身が目まぐるしく変革している。

生と死、陰と陽、光と影。

ビッグバンが起きた直後、宇宙は光子(フォトン)で満たされた。
どうやら生命の始まりは光る粒子らしい。


自分の存在とはなにか

宇宙的、地球的、社会的、地域的、家族的、そして一匹の哺乳類としての自分の存在とは一体…なんなんだろう。

考察に考察を重ね、潜って潜って、意識の5階層目に居る自分の潜在意識のボスに答えを求めた。

人の意識は5階層あるという。
いつも通り表面層の意識で生きていたのなら楽なのに、俺は本当の自分を知りたい。
自分の人生を自分にとってホンモノで満たしたいからだ。


深淵を覗く時、深淵もこちらを覗いている。

おそらく、自覚していなかったもうひとつの人格と対峙している。
不思議な感覚。違和感もあり、怖さもあり、でも自分を次のステージへ導いてくれそうな予感もさせる。

もともと自分の中に矛盾した考えや言動があることが意味不明であったが、自分の中にもうひとつ人格があるのかと思うことができた今、その点においては少しホッとしている。


人格の二重性

満月の夜にオオカミになります。
みたいな極端なことじゃない。
でも確かに、価値基準のズレている人格が自分の中に存在している。

俺と妻、二人のやりたいことを表現し、それを生業とする器が「北アルプス高橋農園」である。

しかし、その器で収まりきらないイメージやアイデアが自分の中で沸々と煮立ってきている。
自我のビッグバンが起きて、自分の中の宇宙が再構築されていくのだろうか。今沸いてきているアイデアをそのまま解き放つと他人の理解を超え、社会のルールを超えてしまいそうで怖い。こんな孤独感もまた初めましてだ。けど近い将来この沸きあがってきたものを現実に落としこむことばっかり考えている。どうしようもない。もし社会的に爆発してしまったのなら、誰か骨くらい拾ってほしい。

昨年末に参拝した「熊野速玉大社」で、なぜか全身鳥肌が立ち、涙が頬をつたっていた。全くの無意識のまま。

きっと神様が俺の何かしらのスイッチを押したのだろう。

これからのことは全て神様のせいにしてしまおう。



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