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ミネラルウォーターってかっこいい

ボルヴィックの日本での販売が終わる、というニュースを目にした。

実は僕、正直、ミネラルウォーターについて、味に大差を感じる事が出来ない。

それは、かつて、大江千里さんのエッセイを読んだ事に始まる。

千里さんのツアー中の日々の中にボルヴィックを愛飲する描写があったのを見つけた、 中学生時分の僕は、牛乳やジュースを愛飲する少年だったのだが、そのボルヴィックを飲む描写が、何とも美味そうに感じた。
そして、千里さんが飲んでいるミネラルウォーターというものが凄まじく「大人で格好良い飲み物」のように感じたのだ。

「水なんてどれも一緒だろう」
僕は近所のコンビニへ行き、ボルヴィックを1本購入。
ゴクリと喉を鳴らしてみたが、やはり、どうにもこうにもミネラルウォーターの「旨み」を感じ取る事が出来ない。
千里さんの背中をとてつもなく遠くに感じた。

その頃の僕は、自転車に乗って遠出をする事が好きだった。
自宅から1時間や2時間かけて、自由が丘や多摩川(二子玉川)まで何度も行った。
そこで、バッグに入れていたインスタントカメラを取り出しては、空とか川とか町並みとか、風景を撮っていた。
今思うとちょっとアレな中学生だったよな、とか思うけど、写真はちゃんと現像もしていて、それらは恐らくちゃっかり実家のどこかに眠っている。

ある夏の日、いつものように自転車に跨った僕は、出がけにコンビニへ寄り、ボルヴィックを購入してみた。
汗だくになりながらゴクリと喉を鳴らすと、その時は何故か「美味く」感じたのだ。
またゴクリと喉を鳴らしてみる。うん、悪くないじゃないの。
そしてペダルを漕ぎ出す。
喉が渇けばまたゴクリと身体にボルヴィックを流し込む。
「今のオレって、千ちゃんと同じようにミネラルウォーターを味わえてるじゃん、格好良いじゃん」
謎の高揚感が脳内を支配し、当時、精一杯の背伸びをしていた僕はその頃から「格好つけたい時」にはミネラルウォーターを口にするようになったのだった。

それから何年も経って、今、自分のライブ中はいつも同じミネラルウォーターを飲んでいるが、実はただのちょっとしたゲン担ぎのようなものなのだ。
未だに本当はミネラルウォーターたちの「味」や「旨み」、「喉ごし」に違いを感じていない。
だから、僕は実は当時のまま「大人で格好良い飲み物」に背伸びをし続けているのかもしれない。
「大人の背中」は、まだ遠い。

ちょっと気持ちが向いた時に、サポートしてもらえたら、ちょっと嬉しい。 でも本当は、すごく嬉しい。